リストのいる部屋

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ピアノのない国へ行きたいとき

先日行われた大きなコンサートの何日か前、私は筑前煮を作っていた。 こう書くとなにやら料理の達人のようだが、 野菜の下ごしらえから作り始める時間も気力も ないので、個人宅配のスーパーから取り寄せた、 「あとは味付けして煮込むだけ」の水煮パックである。

いつからか、簡単なものばかりに頼っているとそれが本番前後の 体調に著しく関わってくるということを 思い知ってから、私は多少面倒くさくても食事のバランスに留意するように 心がけている。

朝起きる。煮込んだ野菜と、これまた宅配スーパーから取り寄せた「麦ご飯」を 食べる。練習する。休憩する。また練習を再開する。 人とのコンタクトを取るのは事務所との連絡くらいで、あとはほとんどの 弾き手がそうであるように、コンサート一週間前くらいから私はほとんど家の中で 缶詰状態になり、ピアノに向かったり麦ご飯を食べたりしながら幾日も過ごす。 そんなことをしているうちにふと「監獄生活」という言葉が頭をよぎったりする。

私がまるで「一本ネジが抜けたように」偏ったところは、 この監獄生活を誰にも邪魔されることなく続行することこそが 最大の幸福だと信じ込んでいることである。それは、 私の「やりたいこと」と「実際にやっていること」の 需要と供給のバランスが取れているからで、自由は私にとって 他の何者にも変えがたいほどに尊い。 概ね私はこの単純な生活を続けることに不満はなく、 むしろ常に「いたって満足な男」なのである。

しかし、この需要と供給のバランスが崩れることがたまにある。 7年ほど前、ベルリンで私は突然ピアノを弾いていることが嫌になった。 大きな目標にしていたコンクールに落選して、力が抜け切ってしまったのだ。 2週間後に、コンクールで弾いた曲とは全く別のプログラムでリサイタルを 弾くことが決まっていたので、私は嫌気が差しながらも練習を続けなければならなかった。

朝、ピアノの蓋を開けて鍵盤を見た途端、吐き気がした。 私は目を閉じて、むかつきが治まるのを待った。一呼吸置いてから私はピアノの蓋を閉め、 半ば発作的に肩下げ鞄に下着の替えを一組入れて、空港へ向かった。

空港といっても、東京の自宅から成田空港へ向かうほどの距離はなく、バスに 乗ってしまえば15分くらいで着く。私は電光掲示板の一番上の欄に 「イスタンブール行き 搭乗案内中」と点滅してるのを横目で確認するや否や、 そのまま歩みを止めずにカウンターに行き、「まだ乗れますか?」と聞いて チケットを買い、トルコへ飛んでしまった。 (今から思えば、チケット代が異常に安かったのは多分、 よほど怪しい航空会社だったためであり、その名前を聞いたことがなかったのも 今さらながらにうなずけるのである。)

私はこうして5、6年に一度くらい、自分でもびっくりするくらい大胆なことをする。 ベルリンの空港から出発の際、搭乗ゲート前のタバコ屋で買った ドイツ語のガイドブック「魅惑のイスタンブール」を片手に、 私は寺院廻りをしたりカフェでチャイを飲んだり、 現地で知り合った日本人旅行者と話したりしながら3日ほど過ごした。 今から思えば、電光掲示板の「イスタンブール」という文字を見た瞬間、その飛行機にどうしても 乗りたくなったのは、本能的に「そう簡単にはピアノにはお目にかかれない国に行くこと」に 魅せられたのだと思う。そして事実、楽器を目にすることなく 3日間をのんびりと過ごすことができたことはそれなりの効果を発揮したようで、 ベルリンに帰っても今度は吐き気を催すことはなく、

(というよりも時間がなかったので必死で練習し、) つつがなくリサイタルを終えることができた。

私は今の生活に対して不満はないが、日本に帰国してからしばらく経つと、 日常生活に留学時代よりも「責任」を取らなければならない要素が 各段に増えた。もう、「ピアノのない国に行きたい。」などという甘ったれた考えは許されないのである。 しかし、「責任」「義務」の全てを投げ打って、それによって生じる多大な犠牲を払っててでも とにかくどこか遠いところへ飛び出したいと思う日が又やって来るのだろうか?

「その時はインドへ行こう。」
筑前煮を炊きつつ、実は既にそう心の中で決めているのである。