リストのいる部屋

Susumu Aoyagi Official Website - 青柳晋 公式サイト

Special

アルファベット別のひとりごと

amusement park- 私は生来高所恐怖症のはずなのに、 ジェットコースターの類は愛してやまない。多分、 「普段の生活では絶対に体感し得ない状況」に目がないのである。 インターネットで検索したら、日帰りでスカイダイビングを 体験できるコースというものがあるらしいので、 時間を見つけて参加してみようと思っている。 バンジージャンプはさすがに試す勇気がないが、 自分の中での怖さの境界線がどこらへんにあるのかよく分からない。

bread- ドイツの住んでいた頃、パリ在住の友人に 「そちらのパンはおいしいからうらやましい」と言われ、 フランスから戻るとドイツ人の友達に 「クロワッサンやバゲットがおいしかったでしょう!」と 感想を求められた。しかし私が一番美味しいと 思うのは、日本の厚切りの食パンなのである。

clown-ユーモアの中に狂気や寂しさを隠して表現する手段は とても洒脱なやりかただと思う。映画や音楽の中にも、道化師の ミステリアスな要素をうまく取り入れている作品が沢山あって、 私は好んで鑑賞する。

dog years- 犬は人間より早く年を取る。友人宅で、 私の姿を確認するや否や飛びかかってきてはしゃいでいた 子犬と数年ぶりに会うと、「あぁ、君か。」といった趣の 一瞥をくれただけで、身動き一つせず けだるそうに伏せているところなどを見ると、 少し会わぬ間に精神的に追い越されてしまったかのような、 ある種のふしぎな感慨を覚えずにはいられない。

execution-昨年、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という 悲痛極まりない映画を観た。女主人公に死刑が宣告され、 彼女は看守と神父に付き添われて執行の場に向かおうとするのだが、 あまりの恐怖に足が震えて歩くことができない。 いつしかこの女囚人に愛着を覚えていた、 これも女性の看守が涙ながらに、彼女が少しでも 現実を忘れて無事に絞首台に辿り着けるようにと、 「歌を歌いなさい。」 と足でリズムを踏み鳴らしながらながら促す。 するともともとミュージカルの大ファンであった主人公が 徐々に音楽の世界に没頭でき、半ば夢うつつの状態で、 看守の刻むリズムに乗って絞首台の階段を登っていく、 というラストシーンである。 映画を観て多少涙が滲む、ということはあるが、 この映画を観ると思わず嗚咽が声になって出てしまう。 先日、悪友Yに「死刑の是非についてどう思う?」と いきなりとてつもなく重い質問をすると 「そんな・・・分からないよ。」と言われた。 全く、そうとしか答えられない問題だと思う。

fool on the hill-ポール・マッカートニーの歌声の最大の魅力は その稀有な透明感にあると思う。若い頃の写真などを見ると、 「育ちは良いが目下グレている青年」といった印象を受けるが、 その歌声は実にピュアな響きを持ち、聴き手に様々なイメージを 喚起させる。シンプルで飾り気がなく、透明感があるのに 聴くほうはどんどん想像力をかきたてられる、 ということはそう簡単に達することのできる境地ではない。 彼が偉大だと言われる所以である。

geography- 私は地図をどんなに長く見ていても飽きない。 機内誌の世界地図を眺めていると1時間などあっという間に過ぎる。 雑事に追われて久しぶりに最新の地図を見てみると スリランカの首都が変わっていた、という衝撃的な事態も たまに発生する。これに気づいた時のことは忘れられない。 私「地理には詳しいんだよねぇ。なんでも聞いてごらん。」
幼馴染(女性)「じゃ、スリランカの首都は?」
私「コロンボ。(即答)」
幼馴染「いや、スリジャヤワルダナラコッテでしょ。」
私「・・・・・・・は?」
幼馴染「だから、スリジャヤワルダナラコッテ。」
私「(笑って取り合わず)いやいや、コロンボだって。」
幼馴染「いや、最近・・」
私「コ・ロ・ン・ボ。何か賭ける?」
幼馴染「焼肉。(即答)」
数日後、私たちは焼肉屋にいた。

hero- 小さい頃から思い続けていれば、自分にとってのヒーローに 必ず実際に会えるときがやってくる。ただし、 「その時」に情熱がすでに消えていたならば、それは 人生の劇的な瞬間ではなく、「ただ子供時代を懐かしく 思い返す時間」に降格する。

id card- 自分が年を重ねている、と実感するとき。それは 各種身分証明書が増えに増えて財布がはちきれんばかりに 膨れ上がっているのを見る時である。

justice- 自分の正義を確信できる人は、その瞬間に 想像力が欠如している場合が多い。また、想像力に富む人は 良く言えば優しく、悪く言えば優柔不断になりがちだ。 どちらかと言えば、私は後者に魅力を感じるが、 時には想像力を切り捨てていかないと前進できないことも あるのは事実だ。

kitchen- 演奏会が近づくと荒れるその様は、恰も 嵐が通過したように無残であり、コンサートが終わり ゆとりが出てくるとやがて片付けられ、整理されていく。 私の台所ではこれが常時繰り返されている。

laundrette- 洗濯機が買えなかった留学時代、定期的に コインランドリーに出かけていた。洗いとすすぎに40分 かかるのでその間に簡単な食事を済ませる。乾燥には 別なチップが必要で、しかも1回では乾き切らないので 2枚投入し、本を読みながら待つ。他の学生や、アラブ人の おじさん、太っちょのおばさん、それぞれに黙々と 作業を続け、あるいはじーっと外を見ながら待ち続ける。 私の脳裏にはあの機械の回転音はもちろん、生暖かくて湿度の 高い室内の空気の様子や、糊の匂いまでが未だに鮮明に刻み込まれている。 目が疲れて文章が頭に入らなくなると本を横に置き、 「5年後はどうしてるのかなぁ。」とぼんやり将来のことを 考えたりした。「これで安泰だ」と、目に見える結果が現れにくい 職業を選んだ責任は自分にあるのだが、それにしても 不安定な状況の中で常に希望を持ち続けるということは実に難しい。 あの時のことを思うと何やら切なく、また懐かしい気持ちになる。

mode- 先日テレビで、20年くらい前のドラマを放映していた。 女優の髪の毛が黒々としている。そういえば こんなに髪が真っ黒な人を街で見かけることが少なくなった。 留学中、たびたび日本に帰国してはいたのだが、 ある時を境に世の中のほとんどの人の髪が茶色になってしまった かのような印象を受ける。先日、髪を切ってもらった店で、 生まれてこの方ブリーチしたことがない、と告げると心底驚かれた。 「どうしてですか?!もったいない・・・」 もったいない、とは 「せっかくこの世に生まれてきたのに一度も 髪の色を変えないなんて惜しい」ということなのか、 生まれたままの色にしておくことがそれほど珍しいことなのか、 ついぞ私には理解できなかった。サッカーのワールドカップでも 黒髪の日本人選手は数えるくらいしかいなかったのを見るにつけ、 私は「蟷螂の斧」といった趣で(いささか大げさな表現だが)、 頑なに「日本人にもっとも似合う髪の色は黒である。」と 信じ続けている。

nobody-出世欲を持たずにいれば、 人はある程度生活の安全が保障される。 上に這い上がっていこうと試みた途端に叩かれるのが常だ。

optimism- マイナス思考に考えを持っていくことは 一種の自己防衛本能で、一見効を奏するかのように見えるが、 ことがうまくいかないときには どう予防線を張っても人は傷つくのである。 一番勇気のあることとは、逆境の中でプラス思考でいられることだ。

pain- 痛みというものは、常時起こっているものは少なく、 途中に「休み」を入れながら、ある一定の周期をもって身を襲う。 しばらく痛んでやがて少しやわらいで、 また時間を置いてから痛み出す、というような按配だ。 心理的な傷もこの例に漏れず、やはり痛みと痛みの間には 「小休止期間」というものがあるようだ。 この時間がなければ、人は生きてはいけないと思う。

question- 「宇宙の終わりってどうなってるの?終わりってことは その先に空間があるってことだよね?そこはどうなってるの?」 「結婚は人生のハカバってどういう意味? 墓場なのになんで皆結婚するの?」

私はかつて、面倒くさい質問をしては親を困らせる 「ウルサい子供」であった。

religion- 何かを専門分野で極める上での最大の悩みは、 「私は本当に好きでやっているのだろうか。」ということに 尽きると思う。私はたまたまピアノに関わっているが、 もし宗教を持ったらやはり行き着くところは 「自分には信じる力が足りない。」という苦しみであろうと想像する。 大きな課題を二つ背負うほど私は強くはない。 宗教家に言わせれば異論も沢山あろうが、 この理由により私は宗教を持たない。

service-ドイツのスーパーで買い物をしていると、 食品をワゴンいっぱいに乗せた店の人が、 通路で商品を物色している客に向かって “vorsicht!”と言う。訳するならば 「どかないと、ぶつかるよ!」というところだろうか。 ヨーロッパではお客様は神様ではなく、売る側と台頭の立場である、 という考え方は、勘定でお釣りを受け取る客が「ありがとう!」 と言い、レジのおばさんが「どうぞ。」と、それに答えることからも よく分かる。ぞんざいな接客態度にも漸く慣れ始め、 日本に3年ぶりに帰国して銀行に行ったとき、 私には受付嬢が天女か竜宮の乙姫のように 優しくたおやかに感じられた。しかし、その態度も ドイツに長くいる友人から言わせると 「マニュアルを棒読みしているようで、かえって冷たい」のだそうだ。 好みの問題であろう。私はやはり日本にいると色んな意味で ホッとする。

tennis- より長く続くラリー、サーブの威力だけでは決まらない 執拗な心理的な駆け引き、などを観るのが楽しくて、私は長年 男子よりも女子テニスのほうが数倍好きだった。 破壊力ではなくうまさで勝負する、という点で 伊達公子選手の試合を観る楽しさは格別で、私は練習そっちのけで よく観戦していた。だがそれからまた時代は変わり、 女子テニスもパワーがより問われるのだと言う。 素人目にはこのことがなんだかつまらなく感じられる。

unfinished- シューベルトの音楽を思うとき、決まって 私の脳裏に浮かぶヴィジョンがある。 それは「あるやつれた宿のない旅人」が 灯りのついた民家の窓を一つずつ覗いていく、 というなんともいたたまれない構図である。 「痛いほどに孤独な音楽」であることは 私にもよく分かるし、聴いていてその世界に 心地よく没頭することもできる。 ただ、まだ私には手が出ない。 表現の手段にある程度自信が持てるまでは、 私はこのイメージをが壊れぬように取っておきたいのである。

virtuosity- 名人芸は、 「どうやったらあんな風に弾けるだろう?」と 聴き手を煙に巻くことが大事なのであって、 決してその仕組みをバラしてはならない、という 点において「手品」に似ている。

winner-スキャンダルのさなか、連行されていく政治家の姿はなぜか 小さく見える。私は政治に関して全くの素人だが、世の中にはきっと 「奸智の限りを尽くす、さらに老練な大物」がいて、彼らは 決してに尻尾をつかまれることはなく、ブラウン管にも その姿を見せない気がしてならない。

x-ray- レントゲンの撮影をされている、 あの無防備なポーズを取っているときは 私にとって、多分混浴の温泉でうろうろすることよりも恥ずかしく、 いたたまれない。両腕を機械の脇に頼りなく垂らした 無抵抗な状態で、文字通り 「腹の中まで探られてるような」気がするのだ。

youth- 高校時代には「まだ大学生でもないのに」と戒められ、
大学生になったら「まぁ社会人になったら・・」と諭される。
卒業後は「まぁ一人前に稼ぐようになったら・・」、
就職後は「嫁さんもらったら分かると思うけどね。」
というように、
若さとは相対的なものであり、誰から見ても長老、 というような世代になるまで 人は半人前扱いを受けるものである。 だが、これを逆手に取れば、自分の気持ち次第で 若さは永遠に持続できるということになる。
zoo- お目当ての動物というものは、たいてい昼寝をしてるか、 木の陰に隠れているかで、なかなか姿を見せてはくれない。 私だってあのように自由を剥奪され、人の目に晒されるのを 生業にすることを強いられたならば、きっと姿をくらまして 一日中フテ寝を決め込むことだろうと思う。