リストのいる部屋

Susumu Aoyagi Official Website - 青柳晋 公式サイト

Special

ある一日

先日、国際便から国内便への乗り換えのために寄った 飛行場の洗面所で手を洗っていると、 突然背後より(正確には下のほうから) 「ねぇおじさん!」と声がした。振り返ると6、7歳くらいの少年が こちらに向かって微笑んでいる。

「お・・おじ・・。」 辺りを見回したが、他には誰も居ない。 オジサン、と彼が呼ぶ人物とは私のことらしい。 「このキカイ、壊れてるみたいだよー。手が乾かせないよ。」 手をかざしてみると、確かに自動乾燥機からは何の反応もない。 おそらくはセンサーの故障であろう。 洗面器の脇にはペーパータオルも設置されているが、 これは子供の手には届かない高さである。私はそこから一枚抜き取り、 「そうだね、壊れてるみたいだから、ほら、これで拭いておきなさい。」 と、ペーパータオルを渡した。

荷物を乗せたカートを押しつつ洗面所の外へ出、おそらくは 少年の母親であろう女性の脇を通りすぎ、次のゲートに向かいながら、 私は胸中に一抹の寂寥感がトグロを巻きつつあるのを感じていた。

これは今まで味わったことのない衝撃と言えるだろう。 邪気のない、世間一般の少年の目に写る私はもはや、 「手を洗うオジサン」なのである。

そう思うと、まるで気づかないうちにケガをしていた部分が急に 痛み出すような感覚に捉われたが、 そこで踵を返し、少年に詰め寄って肩をつかみ、 「オジサンじゃないよね?  おにいさんって、そう言いたかったんだよね?」 と問いただしたとしても、それは意味のないことだ。 子供の率直な観察眼に罪はないし、第一そんなことをしたら 母親が悲鳴を上げるであろう。

そう思いつつカートを押し続け、なんとなく 憮然とした気持ちで乗り継ぎ便ゲートの側のベンチに腰を下ろす。

「アオヤギさんは童顔だから、5、6歳は若く見えますよね。」 と最後に言われたのはいつのことだったろう? 桜が満開の季節に、教員としてはじめて大学の門に入った途端に 女子学生が駆け寄ってきて、 「演劇部に入りませんかぁ?」と誘われたのは、 あれは去年のことだった筈ではないか。

機中窓側の席より、切れ目なく続く雲を見下ろしながら、 脳内を色んな人のコメントがよぎり、交錯する。 水平飛行になってもまだ「お手拭き少年」の笑顔が脳裏に焼きついたままだ。 極度に疲労したときに限って、何の役にも立たない、無駄な疑問が 浮かんでは消えるものらしい。私は年のことについて考えていた 筈なのに、いつしかスチュアーデスが手渡してくれた オレンジジュースを呆然と見つめながら、 「今手にしているオレンジジュース、いつもと変わらない味だけど、 生きているうちに通算何杯飲んだことになるのだろう?」 などというようなことを考え、やがていつの間にか眠っていた。

生きるということは、こうした無駄なことを考え続けることだと思う。

今はひょっとしたら、まだ学校には学生さんと間違えてくれる警備員さんも いるかもしれない。しかし、やがて「どこから見ても職員」に見える 日がやってくる。

今はおそらく、私は世間的におじさんとおにいさんの中間くらいに 位置づいているのかもしれない。しかし、やがて 「縦から見ても横から見てもオジサン」になる日が必ずくる。

そうしてついには「どう見てもジイサン」になる日が、もれなくやってくる。

その時に私は何を思い、何を望んでいるのだろうか。

ある朝鏡を見たら白髪だった、という人の話は聞いたことがない。 神様は人に「覚悟を決めるだけの時間」を与えてくださっている。 私はまず小さな衝撃を受けてそれを消化し、次のステージに備える 心の準備ができた。 「衝撃よ、来るなら来い!」という心境である。

おじさん!と私に向かって無邪気に呼びかけた子供は、 「色んなことを少しずつ、考えなさいよ。」と私を諭す、 天からのメッセンジャーだったのかもしれない。

そんなことを考えているうちに、私は漸く夏季講習会の会場に到着した。 若い女性スタッフの「おつかれさまでしたァ!」の元気な笑顔に迎えられる。

今日はホント、疲れました。