リストのいる部屋

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Special

同窓会

私の同期や、近くの学年の世代には「おもしろい男の子が沢山いて楽しみだね。」と私の 恩師がいつも言っていたを思い出す。 同世代の音楽仲間の中には、楽壇を代表するような 著名な演奏家になった人、日本とヨーロッパを 行き来している人、ずーっと海外に行ったまま 帰ってこないけれども向こうで頑張っている人、 人それぞれだ。 私はといえば、留学の後半くらいより、 日本を行ったり来たりするようになってから、 日本に帰りたくて仕方がなくなったきた。

4、5年前、イタリアの小さな町でコンサートに 出演したことがあった。 打ち合わせ通りの時間に会場に着くと、 まだ調律が終わっていなかった。

調律担当の、デップリと太ったイタリア人の テクニシャン氏、待てど暮らせど仕事が 終わらない。私はピアノの側まで歩み寄って、 英語で彼に訊いた。 「あのー。そろそろ練習したいんですけど、 いつ頃終わられますでしょうか?」 すると彼は厳粛なる口ぶりで、銀ブチ眼鏡を光らせ、おもむろにこう答えた。 「ピアノは生き物と同じで、非常に繊細な楽器だ。 私は今この楽器と“対話”をして 慎重に様子を窺っているところなので、正確な 時間は言えない。もうしばらく経ってから 来てくれ。」コンサート開始まであと2時間を 切っていたが、そんなことは彼の知ったこと ではないらしい。

この時に味わったある種の「無力感」とも言うべき ものを言葉で表すことは難しい。 ベルリン時代の師・D先生は口癖のように、 “You always have to fight if you want to make a carreer!”「いつも戦え!」と言っていた。 もちろん、その時に目をむいて、「フザけんな! こちとら観光でやってきてるわけじゃねぇよ! さあさあ練習するから、失せろッ!」 と喰ってかかることは可能ではあったし、 向こうの調律師たるもの、皆ああではない。 むしろ彼は例外的ヘンジンだと言えるだろう。 ただ私はその時にふと、 「そろそろ、日本に帰ろっかな・・。」 と思ったのだ。 向こうの言葉がしゃべれるようになったから、 心がより通じやすくなるとは限らない。 メンタリティーの壁は言葉のそれより遥かに 大きいものなのである。

先日、母校の創立記念コンサートで、何人かの同僚に久しぶりに会った。 こういう催し物は同窓会のようでとても楽しい。 別れ別れになってからの仲間の 進路は多種多様だ。色々あったが、私は 「今自分がいるところ」には至って満足している。 また数年後に皆で集まって、積もった話題を交換 するのが楽しみだ。