リストのいる部屋

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Special

ミカンこわい

12月に入ったとある日、私はふと 「ミカンが食べたい。」と思った。 近所にスーパーがない我が家の食糧供給は、 専ら宅配スーパーに頼っているのが現状だ。 希望する食品名をマークシートに記入して提出し、 それが翌週にクールボックスに入れられて 玄関先まで届く。つまり、食べたいと思っても実際に 口にできるのは一週間後ということになる。

「ミカン5㎏」のところにチェックをし、 マークシートを提出した後に私は考えた。 私は今、ミカンが食べたいのだ。別にミカンが 再び来週届いてもいいから、 とりあえず今日の分をやっぱり買ってこようか。 私は自転車に乗って遠くのスーパーに、ミカンの買出しに行った。 そしてこの時点では、それが悪夢の始まりであったことを 知る由もなかったのである。

それから約一週間後、私は自宅で生徒にレッスンをしていた。 今日の最後は朗らかなMちゃんである。レッスン後、 彼女は帰りがけに私に言った。 「実家から、お歳暮にミカンが届きまーす。 おいしいので、食べてくださァい。」 ありがとう、と私は微笑んだが、奇しくもこの日には 先週頼んだ5㎏のミカンが届いていた。

翌日、Mちゃんの言ったとおり、ミカンの箱が届いた。 10㎏入りの立派な箱である。 私は先週自転車で買いに行った分をこの時点では 食べ切っていなかった。 「食べ切れるのかなぁ。一日5個食べるとして、えぇと・・」 それから連日、私ひたすらミカンを食し続けた。

食べても食べても一向に減る気配がないのは 果たして気のせいなのか。 そのうちに、このミカンは箱の底から滾滾と 湧き出てきているのではないかと疑いはじめるほどに、 ミカンを食べ続ける私の形相は険しさを増していった。

そのうちに私はコンサートのため泊りがけで 出かけなくてはならなくなった。 ミカン戦争は一時休止であるが、 このままミカン箱を玄関先に放置して良いものだろうか? 箱をよく見ると「冷暗所に保存してください。」 と書いてある。一時の沈思の後、私の出した結論は 「冬だし、玄関先はなんとなく暗いからOKでショ。」であった。

だがこの考えは甘く、旅行から戻った私はすぐに 現実に打ちのめされることになった。あとどれくらいあるのかな? とミカンの箱の底を探し当てようとした途端、 「ぼふッ。」 カビの粒子に私はたちまち咳き込んだ。 箱の中身の下半分のミカンはすでに 原型を留めてはいなかったのである。

私は「オレンジ色の、てろてろしたものの集合体」 を前に呆然と佇んだ。思えば、冷暗所に放置するだけではなく、 一つ一つを取り出してカビが飛び移らないように、 隔離しなければならなかったのだ。間もなく私は意を決し、 マスクとコンビニの100円軍手をつけ、 すべてのミカンと、てろてろの物体を仕分け、 ダメなものを除去する作業に取り掛かった。 やわらかくなってしまったものは頑固に箱にこびりついている。 乱暴にやると汁が辺り一面に溢れ出てしまうため、 この作業は非常に注意を要する。

格闘することしばし、ふと鏡をみる。 軍手にマスク、よれよれのジャージに、 こそぎ落とし用のスプーンを持った私の姿は 「目の血走った農家のオッサン」のそれであった。

その時チャイムがなった。生徒が来る時間帯ではない。 軍手のままインターフォンを取ると、宅急便だという。 私はいやな予感がして玄関に駆け寄った。 覗き窓から外を見てみると、 私の部屋へ続くまっすぐな廊下を、宅配便の制服を着た男の人が オレンジ色のダンボールを抱えてこちらに向かってくるではないか。 私は思わず(血走ったマナコのまま)ドアを開け、 まだ10数メートルも離れている彼に向い、

「それは・・・・ミカンですかッ!?」と叫んだ。 こちらの激しい形相に驚いたのか、 お兄さんの歩みは少し停滞したように思う。 「は・・あの・・・ごインカンを・・」

時はお歳暮シーズンなのである。 同じものが届くことだってままあるに違いない。 そう自分に言い聞かせた翌日に、 新たに10㎏入りのミカン箱が届いた。 私は11月中に宅配スーパーの「歳末特別配達」のために 自分で注文していたのを忘れていたのである。 この時には私の心は不思議な穏やかさに満ち満ちていた。 ある種の悟りを開いたのかもしれない。

私は小さい頃に読んだ 「イヤと言うまで肉を食べさせられ、パンの有り難味を 知った男の人の童話」を思い出していた。 心頭滅却すれば火もまた涼し。私は黙々と 一日に3個生で食し、あと2個は冷凍にしたものをナイフで 皮むきしてジャリジャリと食べる。 私の正月はミカンを食べつくすことに明け暮れ、 今に髪の毛まで黄色に変色するのでないかと案じている。