リストのいる部屋

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Special

ハチミツの話

夜、練習を終えた頃に、 タイミング良く電話が鳴った。 母からである。 母「ハチミツ梅干しって知ってる?」 私「え?ハチミツ・・・うめぼし?」 私の頭の中では目下躍起になって 練習しているブラームスが いまだ鳴り響いており、俄かに 母の伝えようとする イメージが思い浮かばない。 否、思い浮かべようとするのだが、 すぐに頭の切り替えがきかないのか、 私はとんちんかんなことを言って反問する。 私「それは・・・・どうするの?」 母「どうするのって、食べるの。いる?   いるんだったら   注文しておくから。どうする?」 要らない、と断るわけにもいかなそうな 雰囲気なので注文するように頼み、 電話を切ったあとで 私はしばし沈思した。

子供の頃に親に最も怒られた 思い出とはなんだろうか、と考えた時に、 私の脳裏にいつも思い浮かぶ構図がある。 私は小さく、生意気ざかりで 「ケシカラン発言」を 母親に向かってする。すると母親は 手を私の頬の前にかざし、 低くドスのきいた声で 「もう一度、言ってごらん。」 ゆっくりと言う。

私がそのケシカラン言葉を もう一度繰り返した途端、 (本当に繰り返す私も私だが)、 閃光のごとく平手打ちが飛んできて、 私は「お外に出される」のである。 当時、お外(庭)に追い出される というのは青柳家において もっとも重い懲罰で、 まだ母親の腕力に遠く及ばない 私の小さな体は忽ち中庭のほうへと引きずられ、 庭に放り出されるとサッシが冷たく ピシャン!と 私の目前で閉ざされるのであった。 そして何も知らぬ父親が仕事から帰宅し、 機嫌の良さそうな調子で 「なんだ?ん、悪いコトでもしたのか?」 と問いかけ、玄関のドアを開けるのを見るや その間をスルリと抜け入って、家の中に 再潜入するのを日常としていた。 (私はなぜか父に対して“いつも 上機嫌な調子でいた” というイメージが強く根付いている。 母は「昔は気難しかったんだから。」 と新婚時代を述懐することもあるが、 私は母のキマジメさと、父親の楽観的な性質の ちょうど中間にあたる気質を持って 生まれたようで、このことに実は 何よりも感謝しているのである。)

今から思えば、母は私に対して特別な 躾をしたのではなく、常識人としての 当たり前の感情や礼節を持った人に育って 欲しかったのであり、このように時には厳しく 戒めたようである。 私が不安定な音楽の道に進むことについても、 もっとも心配した事は生活上の問題の他にも 「普通の、良識ある人間」から逸脱した育ち方を することではなかったか、とも思う。

それから時は流れ、私もその後様々な生意気・ 親不幸時代を経ると、 母親の怒る内容もそれに伴って変化してきた。

コンサートが終わった数日後に電話がかかる。 そしてかの懐かしい低い声で 「あなた・・・この前の演奏・・ 自分で、どうだったの?」 という質問を投げかけられるのである。 このような電話がかかってくる時は 悪しき演奏だと思われた場合である。 不勉強に対しての反省を促し、次回には 万全を期して(本人は万全を期しているつもりでも) 臨むように戒めたかったのであろう。

しかし「戒め電話」の内容は、私が更に年を重ねると 新たなる変貌を遂げた。 「お母さんがこの前あげたアカシアのはちみつ、どう?  なくなるようだったらまた注文しておくから。  それから、黒酢は血液がサラサラになるから  水で割って飲みなさい。」 「梅肉エキス、この前あなたが留守の時に  置いていったでしょ。すごく酸っぱいけど、  イイんだから毎日一匙ナメなさい。」 「一食抜いたりしたら、かえって太るらしいよ。  体が栄養分を待ち構えるようになるんだって。  濃縮ゆずジュースは体にいいんだってねぇ。」 と、とめどもなく続くのである。

このように、電話で私に伝えようとする「教え」が 常識・躾→ 生活態度・意欲→ ひたすら健康上の心配 というふうに時とともに変化を遂げたことを 非常に感慨深く思う。 (もっとも、母は母で「もうここまでしか言わない、 言うべきではない」と気を遣っているだけで、 実は子供時代からの心配が鬱積している 一方なのかもしれないが。)

そのうちにいつか電話の数も減るであろう。 あるいは電話の声が次第に細くなる時が来るやもしれぬ。

世間一般の息子に比べると遥かに心配する要素が 多かった手前、私は電話が続く限り、 日々ハチミツ梅干しを食し、梅肉エキスをナメつつ 黒酢をアカシアはちみつで割って 飲み続けるように心がけようと思うのである。 (酸っぱいモノばかりでお腹にくるかもしれないが。)