リストのいる部屋

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Special

Yearly Archives: 2000

ロンドンのボヤ騒ぎ

私には元来、自在に濃密な集中モードに入ることが できる、という特技がある。疲労していても熱があっても、 2時間と決めたら2時間の間、私は雑念をシャットアウトして 自分に一種の自己催眠をかけ、“そのことしか頭にない。”という 状況に自分を置く。ただし極限まで達したら、その後に高熱が出て数日ベットで 唸りながら過ごすという代償が待ち受けている。 しかも、そうやって集中している私の形相はどうやら恐ろしいものであるらしく、 自分でも気づくことなく私はデリケートな隣人を威嚇していることが あるらしい。(デリケートな、親愛なる隣人の皆様、この場を借りて お詫び申し上げます。)
ロンドンでのレコーディングの前夜、私はホテルで悪夢にうなされていた。 イギリスの片田舎の水車小屋の内部で、なぜか豚の大群と共に 小麦粉をこね続けなければならないという、なんとも珍妙な“悪夢”である。 大きな仕事を目前に控えて神経が張り詰めていたせいもあるのだろうか、 このように奇怪な夢を見たのは生まれて初めてのことだ。 その時、けたたましい電子音が鳴り響いた。耳の中をキリでつつきまわす ような、聞くに堪えない不快な炸裂音である。 “ああ、この世にもついに終わりが来たんだな・・。” 寝ぼけた頭で私は最初もっともらしく、妙に納得していた。しかし電子音はいっこうに 鳴り止む気配を見せず、ついに私は目覚めた。火災報知器ではないか!  私はいつも起きる時にそうするように、素早く手探りで眼鏡を 探し当て、飛び起きてドアの側に近づいた。火事の時にはいきなりドアを 開けたりせず、ドアに手をかざして温度を確かめるべし、と何かの本で 読んだことが脳裏をかすめる。(大爆発を防ぐため、だったような?) しかしドアはひんやりしている・・・。“他の階か?” 次の行動を決定すべく思案していると、フロント係が息を切らせながら 各部屋を廻り、血相を変えて“避難階段からお逃げください!”と叫んでいるのが聞こえる。 私はパジャマにコート、裸足に革靴という珍奇ないでたちで財布とキーカードを鷲掴みにし、 階段を素早く駆け下りた。レコーディングと非常事態のため、2倍の密度の集中力に 漲る私の形相は、もしかしたら韋駄天のようにモノスゴかったのかもしれない。 消防車とパトカーのサイレンは聞こえてくるが、どこにも煙は見えないし、 逃げている人の表情に非常時の緊張感はなく、苦笑して歩いている人さえいる。 どうやらどこも燃えてはいないらしい。ホッとしつつも私は 寝巻き姿の泊り客がホテル前の広場に次々と誘導されて行く人の波にしたがって 歩き、その間にも私の視線は必死でTさんを探していた。 Tさんとは私のマネージャーであり、なんとも明朗快活、豪快な御仁なのであるが、 人でごった返す広場の中、向こうも夢中で私を探していたらしい。 “青柳サンっ!”という声で振り返ると、目の前に私と同じアヤシげないでたちの Tさんが立っているではないか。  Tさん“アッハッハッハッハ・・・・・いやいやいや。” 私“(何も大笑いしなくても、と思いつつホッとして)何事もなくてよかったですねぇ。” Tさん“ほんとに。長いジンセイで、この経験は初めてだなぁ!すぐにボヤって分かったけど、 イヤイヤ、無事でなによりでした。” 私“しばらくは興奮で寝付けないかもしれないですねぇ。” Tさん“・・・・。(まだ笑っている)” 私“どうしたんですか?なんだかイキイキしてません?” Tさん“(笑いつつ)いやね、あなたが昨日あまりにも険しい表情で オッカなかったから、ボクは逃げながら、アオヤギクン、気が触れて火付けでもしたんじゃないかって 一瞬考えましたよ。ロンドン入りしてからのあなたの目はエモノを狙う狂犬ってカンジだったもんなぁ。” 私“・・・・・そんな・・。”結局火災報知器を鳴らしたのは酔っ払いの仕業であることが判明し、この騒ぎは30分ほどで 完全におさまったのだが・・。
それにしても狂犬に放火魔とはねぇ・・。自分ではちっともコワく なってるつもりなどないのですが。

皆さん、コンサート前には面会に来られないほうが身のためですよ。

ピアニストを斬る!

ここのところ長文が続いていたので、 今月は日頃より敬愛している名ピアニストたちを厳選し、 私の中の印象を一言にまとめてみた。

ヴラディミール・ホロヴィッツ
-音楽のために自分が存在するのではなく、曲を自分の 表現手段として用いるといった姿勢を初めて明確に打ち出した 人。後期ロマン派以後の曲におけるメロディーラインの麻薬のような 妖しい魅力はピアニストをも魅了する。あらゆる意味で参考になる。

マウリツィオ・ポリーニ
-ペトルーシュカからの三章の録音によって、 それまでのピアノ演奏の流れを一新した人物。その 影響力はアルゲリッチと並んで 絶大で、その後世界のピアノ演奏技術は急速に向上した。

マルタ・アルゲリッチ
-何を弾いても行書達筆の一筆書きで粋にまとまってしまう 天才肌。シューマンの幻想小曲集や、フランクのヴァイオリンソナタにおける メゾピアノ以下のダイナミックレンジも美しい。しかし一番の名演は16歳のときの リストの“軽やかさ”。

エフゲニー・キーシン
-こちらは楷書で誤魔化しや妥協が一切なく、ラフマニノフの3番の コンチェルトをライブで一音足りとも弾き逃さない集中力にはほとんど 非人間的なものを感じる。

アルフレード・ブレンデル
-演奏に教養がぎっしりと詰まった、粋な知性派。古典も良いが、 とくにリスト作品の演奏は秀逸で、特別なオーラを放っている。

マレイ・ペライア
品格がある。どんな作曲家の曲でも模範的にスタイルを 弾き分けることができる器用さを持っているので、何を聴いていても 安心。

ラドゥ・ルプー
-C-durのメロディーに退廃と枯渇の味わいを持たせることが できる強烈な個性の持ち主。私は時々この人の演奏を聴くと やるせなさを感じる(そしてそれが心地よい)。 ペダルの残し具合が絶妙。

イーヴォ・ポゴレリッチ
-ホロヴィッツの姿勢をさらに徹底させ、自らの美の世界を あくまでも重んじる。その妥協のなさは異常なまでであるが、 ライブ演奏の完成度は常に高く、聴く者にも集中力が要求される。

音楽ファンの話

永年の親友で同業のYが先日こんなことを言っていた。 “ヨーロッパを旅していて様々な場所に行ったら、 その土地その土地の音楽が頭の中に流れてきて、 その曲に対する自分の発想のあまりの安易さに呆れてしまった。” つまりプラハに着いた彼の脳裏から“モルダウ”が離れず、 ザルツブルグに降り立った途端“ザ・サウンド・オブ・ ミュージック”が流れるといったあんばいだ。プロの音楽家といっても、 いわゆる名曲に対して持っているイメージは意外と単純である ことが多い。それもピアニストならばピアノ曲以外に、声楽家であれば 歌曲やオペラ以外にといった具合に、その曲が自分の専門分野から 離れていればいるほどに雑念なく“素人のように”純粋に音楽を 楽しめるもののように思う。
かくいう私にも“聴いただけで感涙にむせぶ”アリアがある。 (このレベルでピアノ曲を楽しむことは私にとって非常に難しい。) それはプッチーニのトスカの中の“妙なる調和”というアリアだ。 歌詞の内容は別にどうということはないのだが、(トスカを愛する 青年画家のカヴァラドッシがマリア像を描きながらいかに トスカの美しさをイメージしているか、いかに彼女を愛しているか をノロケ気味に語るという内容である。) その類稀なる音楽の美しさは他に比べるものがなく、私などは 聴いているだけで日頃自分が音楽を形にしていくまでの複雑な プロセスなどから一瞬にして解放され、素朴な一音楽ファンに 戻ってしまう。そして驚くことに、友人のYと全く同じように、 この曲は私が毎回ミラノの空港に降り立つその瞬間から頭の中で 流れ始めて、しかも私を飽きさせない。
“ピアノ曲にこれほどまでに素直で朴訥な愛着を感じることは ないのだろうか?”と私は考える。音楽を外側から愛でられる ということはとても心地よいことである。それは旅行で知らない 土地を訪れて、おそらくはその街にもひしめいているであろう 人間同志の争いや葛藤などに接することもなく建物の外側を 鑑賞し通過できる立場に似ているかもしれない。

はじめてショパンのコンチェルトや、 ラフマニノフのプレリュード、シューマンの“夕べに”などの 曲を聴いたときはやはり非常に感動した。しかし、“こんなに 素晴らしい曲があったなんて!”とその曲にのめり込んだのは 二十年も前の話で、それからは実際に自分でイメージを音に していく過程で考えすぎて人工的になってしまったり、気を 取り直して虫眼鏡で凝視するように曲の魅力について 分析してみたりして、今度は最初のイメージが色褪せたりしないかと 考えこんだりすることの繰り返しである。 息長く音楽を愛しつづける鍵は、外側と内面からバランスよく 音楽に接していくことにかかっているのかもしれない。

演奏者は準備を終えた後、 本番の直前にこれら雑念一切を切り捨てることのみを念じる。 私はステージに立つ直前、一音楽ファンに戻るように心がけている。

カゼの話

私には扁桃腺炎の持病がある。 年に3,4回はきっちり現れるため、私に切除すればと勧める人 がいる。しかしきくところによると、扁桃腺は体内へのウィルス侵入 を食い止める防波堤の役割を果たしているという。 体外と体内を隔てる境界線がいきなり気管支と肺である ことは何だかキケンなよう気がして、切除するのは気が進まない。 かくして 私は “ つき合い慣れた ” 扁桃腺炎と数日間を共にすることになる。 やって来るときはいつも同じパターンだ。要するに頑張りすぎると体が悲鳴を 上げるらしい。“ しまった!” と思う。世の中には2通りの人間がいて、 地団駄を踏み、突進して壁に激突してひっくり返り、おもむろに立ち上がって 次の壁をにらみつけるタイプと、思惑が外れてポカーンとすることなど皆無 、 ストレスがたまらない程度に邁進し、泰然としているタイプ。私は間違い なく前者である。 “ しまった!ハリキリすぎてしまった ” と思った時には すでに体中の節々がジンワリと痛み、それでも時々 “ 誤報 ” があるので それであることを願いつつ床に就く。そして翌朝、高熱とともにウィルスたちが 体内を喜び勇んで駆けめぐっているさまに思わず目を醒ます。喉は パンパンに腫れて飲み込むたびに針で刺されたように痛い。 やはりウィルスたちの訪問は正式なものだったのである。 このあたりから 私の心理状態は “ しまった!”から “ また! この忙しいときに ・・・・ ” へと 移り変わってゆく。 そうしてその後は “ 仕方がないからフテ寝 ”から 、“ ま、リラックスしましょう ”になって、 “気分が良いということはこんなにうれしいものなのか!”のコースを 辿るのが常である。
ちなみに昔、何の本で読んだのかは忘れてしまったが、不治の病に冒されて いる人のもっとも一般的な心理状態の推移は ① 信じられない(おどろき) ② 何で私が(怒り) ③ もう終わりだ(悲しみ) ④ 色んなことがあった(回想) ⑤神や家族にあいさつ(感謝)だそうである。 自分もいつしか大病に冒される日が来たら、人と同じように、最後は 穏やかな気持ちで死を甘受することができるだろうか? (こんなことを考えている時は大抵 “誤報”のときで、体力があり余っている 証拠なのだが。)
それでも熱が39℃を超えると、私は這うようにして病院に行く。 (私は一人暮らしなので) そうして家に帰ってから抗生剤を飲み、また横になって目を閉じる。 そして呪文のように痛みの消滅を念じて、ゴロゴロしていると汗が噴き出してきて ふと、私の魂は幽体離脱し、まるで天井から寝ている我が身を見下ろしている 感覚におそわれることもある。(というのはもちろん冗談で、 単にクスリが効いてきて幾分楽になったのである) ここまで来れば物が食べられるので楽である。

体が悲鳴を上げるまで、回りが見えなくなって打ち込んでしまう性質。
どうぞどうぞと定期的にカゼ菌を受け入れてしまう体質。

-この2つのうちどちらかを改善したいのですが、どなたかいい方法を ご存知ではあれば教えてください。

忘れられない瞬間

フィンランドには湖が一体いくつあるのだろう? 飛行機がヘルシンキの空港に到着する直前、眼下にはどこまでも続く森が拡がり、 至るところに虫食いのように複雑に湖が入り組んでいるのがよく見える。 それが地平線まで連なっているので、市街地の他はこの国の北岸まで同じ景色が 続いていることが想像できる。湖の数を特定できるのは不可能ではないかと 思えるほどの多さだ。  私はヨーロッパに留学して2年目で、夏期講習会に参加するためにはじめて フィンランドを訪れた。ヘルシンキから電車で3時間ほど北上しさらにバスで一時間、 北極圏にほど近いスオラハティという村のはずれの森の奥深くの湖のほとりに会場が あった。3階建ての建物の中にレッスン室と宿泊施設があり、私は2週間ほどそこで 寝泊りをした。受講生は皆フィンランド人で、一日のレッスンを終えると夕食の前に湖で泳ぎ、 サウナ小屋に入るのを日課としていた。 フインランド人の生活にサウナは欠かせない ものであるらしく、 人によっては真冬でもサウナで極限状態まで身体を火照らせた後に 湖の氷を切り開いて入る者もいる。

ある日私はレッスンの順番が早く、その後の練習室もふさがっていてぽっかりと 時間が空いたことがあった。ふと思いついて私はサウナ小屋の横に繋いであった 手漕ぎボートをほどき、漕ぎ出してみた。湖の端まで漕いで戻ってくるつもりだったのである。 ところがいざ対岸に着いてみるとそこはさらに曲がりくねった湖の入り口で、 その奥にもほかの湖が隣接していることが分かった。私は虫食いの真っ只中に いたのである。私はふと湖がどこまで続いているのかを見極めたいという衝動に駆られた。 生来私は興味を持ったことに夢中になると一心不乱になって止まらなくなる癖があり、 しばらくの間何も考えずに私はひたすら湖から湖へと漕ぎつづけ北上していった。 そうしていよいよ腕が疲れて動きを止め、ふと我に返ると、私は今まで見たことも ないような大きな湖の真中にいた。対岸はもう霧で霞んで見えず、人の気配は勿論、 鳥の鳴き声すら聞こえてこない。湖水は鎮まり返って木々は遠くに霞み、 見渡すかぎり動いているものは自分一人である。 ボートが止まると風は全く無いので流されることもなく、 私は横になってしばし呆然と佇んでいた。 異様ともいえる静けさを体験したのはこの時である。 私は恐怖感をなるべく忘れるために感覚を麻痺させて、しばしこの静けさに 耳を傾けてみた。「無」という音を体で感じることができるのは滅多に無いことだと 直感したからである。

気を取り直して引き返しサウナ小屋に辿り着いたのは夜で、疲労困憊していた私は 自分の部屋に入るなりそのまま朝まで熟睡した。

大きな感慨を期待して旅に出ても、故意に感動を作り出すことはできない。 全く予想していなかったときと場所である種の驚きによって全身に戦慄が走るような 瞬間が私は好きだ。またそういった瞬間は単独で行動しているときに起こることが多い。 旅をすることによって忘れられない瞬間が積み重なっていくことは私にとって 大きな楽しみのひとつである。

「言い出せなかったこと」

地方に行くと出会う人の人柄が素朴なのがうれしい。 Sさんは最初、Y町の会場に着いた時に懸命に床をモップで 磨いていらっしゃたので最初は掃除業者の人だと思ったのだが、 それはいかにも東京の人間が考えそうなことであって、彼は ホールのオーナーと仲の良い、椎茸栽培をしている人で、ただ 手伝いに来ていただけであることが後になって分かった。 小さな町ではきっとこうして近所者同士が 都会では考えられないような密接な、家族のような関係にあって、 互いを支えあって生活しているのであろう。 私がY町に着いてから演奏し終わって翌日出発するまで この気さくなSさんにとても親切にしていただいた。コンサートの翌日、 ドイツ暮らしが長く温泉をやたらにめずらしがっている私に、 “知り合いに話をつけてやるから”ということで 有名な旅館の風呂に朝から入れるように取り計らっていただいたり、 “確実に美味しい店”に案内していただいたりもした。道で会う地元 の人は知り合いだらけで、店や旅館に向かう途中もSさんは挨拶で忙しい。 Sさんは気さくで面倒見が良いだけではなく、ちょっとしたコメント がなんとも素朴でなおかつユーモラスである。 “青柳センセエはだんだんテンション上げてきますからねえ。 来たときは普通の人かと思ったけれど、コンサートの前になったら 目がつり上がって来て、殴られるかと思いました。”などというコメント も私にはなんともおかしく、うれしかった。別れ際にSさんは“東京にうちの椎茸を沢山送りますから。”と おっしゃて下さり、私はひたすらお礼をいってY町を後にした。 実は別れ際だけでなく、前日にも椎茸を送ってくださる ことを約束して下さっていたのだが、私は滞在中ついに言い出せなかった ことがある。白状すると私にとって椎茸は、実は“もっともニガテな食べ物 で、出来れば見たくもないものの一つ”なのだ。幼少の頃から、 あの味はもちろんスガタカタチ、匂い(香りというべきか)どれ一つ とっても私の活力を消滅させる威力を持っている。この事実を 私はついに屈託のないSさんに告白することが出来なかった。私を良く 知る友人にこの話をすると抱腹絶倒するのだが、今も私はSさんのことを 思うとなつかしく、良心の呵責を消し去る事ができない。

だから私はここで懺悔する。
Sさん、お世話になりました。本当にごめんなさい。

素っ頓狂な話

同業の友人と話すと決まって盛り上がる話題に “素人さんからよく受ける質問”というものがある。 音楽とは全くちがうジャンルの人のコメントや 質問には、中には意表をついて鋭いものもたまにあるが、 (例えばどうして今どきクラシックなんですか?とか) 思いもよらない視点からの発言があまりにもユニークだと 必然的に仲間うちで笑い話の保存版として語り継がれて いくことになる。女の子がピアノを弾いているときに 脚を広げているのは良くない、きちんと膝をそろえて 椅子にすわるべきだ、と力説していたホールの警備員の 老紳士や、女流ピアニストは皆、家のなかでもイブニング ドレスを着て生活していると信じて疑わない大学生、 ピアノにはいっぱい押しボタンがあって大変ねえ、と私を 慈悲深くねぎらってくれた近所のおばさんなどは友人との あいだでもすでに有名人だ。

押しボタンの婦人ほど極端な例ではないが、よく 受ける質問に“どうしてそんなに指が速く動くの?” と“どうやったらあんなに沢山の音を覚えられるの?” がある。指の動きの敏捷性はテクニックの一部で、 訓練で向上し得る、と説明しやすいが、暗譜で弾くまでの 過程を素人に説明するのは時々むずかしい。 以下はある音楽に関して全くの人に暗譜を説明しょうと 試みたときの会話である。

“つまり、カラオケでもソラで歌える曲があるでしょう? メロディーをワンフレーズでも覚えられるということは、 訓練次第で大曲をも覚えられるということにつながるんです。” “でも聴いてると、メロディーどころか音が数え切れない くらいあるように思えますね。” “(鋭い、と感心しつつ)そうですね、メロディーの他に ハーモニー(和声)とリズムを同時に構成する音を頭に入れれば 全曲覚えてることになるんです。” “じゃあ、ハーモニーはどうやって覚えるんですか?”

ここへきて私は考える。和声を耳で覚えていく事は単に 音を耳の中でたてに鳴らして捉えているのとは感覚が ちがう。弾いていて自然に指がそこに行くということは、 むしろそれぞれの和声が持つ“色”のようなものを感じて耳に 取り込んでいっているといったほうが良いかもしれない。 そして演奏の段階で全曲を通すときに和声が進行していくときの 色の変化を物語の筋をたどるように自然に弾き進めていく。 和声に対する感覚が優れているほど暗譜力は強い、というは 考えてみれば当たり前のことではあるが、何も考えずに 行っていた作業のプロセスを言葉で表現することによって 再認識させられるのもこのような素朴な会話がきっかけ になったからで、とてもおもしろい。 私は素人さんからの次の素っ頓狂な質問を 心待ちにしているといっても過言でないかもしれない。

コントロール!こころ編

目の前にある鍵盤から音を紡ぎ出していって、それがホールの奥から反響して 帰ってくる過程に耳を傾ける。そうして家の中で弾いているときとは全く違った感覚で、 空間の中に響きによる建築物を作り上げていくような感覚に捉えられる。 その瞬間に雑念は振り払われ、心は鎮まり返って人前で演奏する事は少しも 苦にならず、時間を忘れて意識はひたすら音とイメージに傾けられていく。 弾き手にとっての、この至福の瞬間は演奏会の最中にいつ訪れるかは分からない。 あの不思議な感覚は日によってコンサートの後半だけ感じられるというときもあるし、 出番が短かったり、小品だけのプログラムでは最後までなかったという場合もある。 弾き手にある程度共通していることは、あの不可思議にして心地よい感覚の中で弾きたくて 演奏会の数日前から四苦八苦しているということだ。 どうしたら自分の心をコントロールできるのだろうか?

例えば三日後の、或いはニ時間後の自分の精神状態をあらかじめ設定しておくことは できない。願わくば無の状態でありたいが、その領域に達する確実な 方法というものは存在しないのではないか。本番を重ねるたびに心を “空っぽ”にしようと試みてはみたが、本番当日のうちに頭に浮かんでは 消えてゆく雑念の多さにかえって驚かされたりもした。ある程度満足に 弾けた時の事を思い返してみると、逆にギリギリまで追い詰められていた 心境で臨んだコンサートでの集中力が高かった場合が多いように思う。 ある演奏会の本番前、あまりの疲労感とストレスで思考回路がほとんど ショートしかけていたときがあった。無事に弾きとおせる自身は全くなく 願わくばキャンセルしたいが、気分によってコンサートを破棄したりしたら 次につながらなくなるばかりか、自信をなくしてしまうことは目に見えていた。 意を決して楽屋のソファーから立ち上がり、蝶ネクタイを結んで コーヒーの角砂糖の包みを開け、三粒ばかり口に放り込んで 舞台に出てピアノに向かったと同時に、別世界にいるような感覚で軽やかに プログラムを弾き通せたこともあった。

体とは違い、心を好きな状態に持っていくための特効薬はない。 いくつかの良い状態から共通点と矛盾を同時に見出し、またその 矛盾の中から答えを見つけるというように、弾き手にとって 演奏する場というのは、関心を持てば持つほど解けない なぞなぞ遊びのようなものなのかもしれない。

コントロール!からだ編

食べ物の種類の豊富さと品質において、 日本は世界でトップクラスに属している、 あるいは世界一の国かもしれない- そう感じたことのある人はおそらく かなり沢山いる事と思う。その人が単に各国の名物 食べ歩き旅行をしたというのではなく、 ある程度の期間外国で滞在したことがあるのであれば その感慨はなおさらであろう。 とある(食文化の水準の高さで有名な)国のコンクールで その食生活の意外な質素さに驚き、ひもじい腹で 苦し紛れにコンチェルトを弾かねばならなかったという 失敗を経験をしてから、“その夜の体調を決める食事の メニュー”に対する私なりの考えが経験を重ねるごとに まとまってきたように思う。私には栄養学の知識はないから 根拠は説明することはできないが、弾く事を通じて 体で感じた演奏に適するメニューは俗に言う“精のつく 献立”とは少しちがうように思える。

鰻(×)-脂っこすぎる。腹にもたれていざ弾くときに
シャキッとしない。

おにぎり(○)-演奏二時間前にはもっともおすすめ。
ほどよくエネルギーが持続する。

寿司(×)-喉が渇くので要注意!

パスタ(△)-一時的には力がでるが、持続しない。
リサイタルには不向き。

牛肉(○)-夜の演奏会であれば昼食にベスト。力が安定して
持続できる。

糖類・チョコレート(△)-一瞬しか力がでない。しかし
どうしようもなく疲れているときなど休憩時間に
とることもある。

バナナ(○)-エネルギーが程よく持続し、なぜか集中力が
高まる。私には必需品。

どんなによく準備されたプログラムでも、本番の出来はその時の 体調にほとんど左右されてしまうので、食べるものの内容は かなり重要だ。しかし体のコントロールには成功しても、 なんといっても一番厄介なのは本番への心の持っていき方 であろう。

リストのソナタの話

リストのソナタの一番最後の部分をご存知ですか? この大曲は絢爛たるクライマックスの後、静寂の中で ピアノで演奏可能な一番低いロ音(h)で締めくくられます。 この最後の一音を“天使の祝福”、或いは“悪魔の微笑み”と取るかは あなたの解釈による、と当時尊敬する師に言われたときから このソナタについての考えを私なりに進めてきました。

“まるで手にとるように分かりやすくて、いや、 その精神世界が分かりやす過ぎるがために 自分にはこの手の世界観がつまらない。” これはとあるピアニストの友人がリストの 音楽を評した時の言葉です。 確かに“ダンテを読んで”、“ソナタ” “オーベルマンの谷”において見られるように 地獄で罪の重さに耐え切れず喘ぎ苦しむ人間の前に天使が現れて、 天国へ導いてゆくという発想はドライな現代人にとって いささか単純明快すぎるかもしれません。 しかしここではロマン派の気風というものについて 考察する必要がありそうです。

“私はあなたがいないと呼吸することもままなりません。 そのお姿を見れないとあらば、忽ち私は死んでしまうでしょう。” これほどまでに熱烈な(恥ずかしい?) ラブレターをしたためることは現代においてはためらわれる かもしれませんが、リストが生きていた時代では このようなスタイルで語るのはごく当たり前のことでした。 スーパースターから宗教家にいたるまで変貌を遂げ、 様々な顔を持っていたといわれるリストですが、 書簡からはナイーヴでありながらも移り変わるその時その時を ピュアな姿勢で大まじめに生きていたことが伺えます。 こうした気風に考慮に入れて、現代においてロマン派の世界をを忠実に、 少しもためらわずに再現しようとした場合、リストのソナタの最後の一音は 天国への帰化の表れとして捉えるのが正統な解釈といえるかもしれません。 しかし、この音にディアボリックな雰囲気を持たせることによって 安らぎの世界に完結した全曲に改めて不吉な余韻を残す、 というアイディアもいかにも魅力的に思えてなりません。

考察はまだ続きそうです。。