リストのいる部屋

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Special

Yearly Archives: 2001

50音別のひとりごと

あ- 阿吽の呼吸。 室内楽のリハーサルをやっていて思うのだが、 ズレるところ(合わせづらい箇所)を何十回も お互いに合わせるように練習することは 無意味である。なぜならば本番のときに集中力が欠けて いたり、相手の音(もしくは音運び)が聴けて いなかったらやはりズレるからである。私は ここ一番に合わせづらい箇所では相手のほうを 見ずに、むしろその瞬間だけ目を閉じて 集中するようにしている。

い- 祈り。 ユダヤ教の休日は土曜日(シャバット)である。 私が旅行途中の自由時間を利用してエルサレムを 訪れたときは、偶然土曜日だった。旧市街のほぼ 中央に位置する「嘆きの壁」の前では大勢の 男たちがそれぞれに 教典を持って小刻みにお辞儀をしながら 祈りを捧げる姿は壮観であるが、さらに不思議なのは せまい旧市街の敷地内に位置する 嘆きの壁を一つ超えた向こう側はイスラム教徒の 聖地であり、またキリストが死刑の宣告を 受けて十字架に架けられるまでを歩いた 哀しみの道「ヴィア・ドロローサ」はその 周りを網羅していることだ。2千年ものあいだ 罵り合いながら(または目を合わさないようにしながら) 小さな町にひしめき合うようにして暮らしている異教徒たちの それぞれの祈りが折り重なるようにして スピーカーを通して鳴り響いてくるさまは 一種異様である。私は旧市街を練り歩いているうちに いつしかこの「交錯する祈りの声」に酔ってしまったような 感じになり、ベンチにしばし腰掛けていたものだ。 私はこの時の旅行が忘れられない。

う- 海。 私が経験した「怖い思い出のひとつ」に、 真夜中の海で一人で泳いだこと、がある。別に事故が 起こったわけでもなんでもないのだが、 星空を見ながらしばし仰向けに なって浮かんでいると、ふと感覚が鈍って どちらが空でどちらが海か分からなくなる瞬間が ある。突然全身が闇に包まれたような気がして 泳ぐリズムが掴めなくなり、危うく水を飲みそうに なった。膝から下の深さは日中でも日光が当たりづらい ため、ひんやりとしていて気味が悪い。今にして 思えばなんで一人で夜の海に出たのか、 そのことのほうが不思議なのであるが。

え- 映画館。 場内が暗くなり、予告編が終わって映画の始まりを 告げる字幕が流れはじめるとき、私の表情はひとりでに 緩んでいる。1000本は軽く観ているせいか、 私は5分ほど観たら佳作か否かを見分けることができる 「嗅覚」を身につけてしまった。これだと思える 作品にめぐり合った、と実感できたときは (つまり5分以上たったとき)私にとって最も 幸せな瞬間のひとつである。

お-「男は愛嬌、女は度胸」というのが私の持論で、 田力男命(またはサムソン)とクレオパトラは私にとって 典型的な男性らしさ、女性らしさの見本である。 しかし、たまに私のこのイメージを根底から覆してくれる 人物に会うと(つまり本当の意味で強い男、あるいは 強さよりも愛嬌がにじみ出ている女性)私にはむしろ 非常に好ましく感じられる。

か- 感慨。 「美しい景色を見て、感動してやるぞ!」と意気込んで 旅行に出かけても、そのような場面に遭遇できることは 稀である。感慨とはあらゆる期待感を持たず、 心と頭が真っ白のときにふと 浮かび、広がっていくものだと思う。(天災と) 感慨は、忘れたころにやってくるものなのである。

き- 期待以上のもの。 クラシック音楽演奏が既成の曲を繰り返し演奏し続ける 行為であるかぎり、聴く者はすでにあらゆる曲に対して すでに自分なりのイメージを持って聴きに来る。 そのイメージの中の、メロディー運びや和声感の美しさを、 目の前の演奏が上回ったときに、 はじめて驚きと感動が生まれる。 つまり「これくらいかな?」と期待している人の予想を 良い意味で覆し、感動させるためには 演奏者はまず、聴衆よりも曲に対して大きな共感を持ち、 感動していなければならないことになる。

く- 「薬」。 演奏会前のコンディションは時と場合によって異なる。 弾きこみが足りていない場合。また、逆に練習しすぎて 疲れている場合。体力が有り余っていて、どんどん 弾きこむことによってインスピレーションが 高まる場合もあれば、本番前、頭を空っぽにして 楽屋のソファーで眠っていたほうが新鮮に演奏に 向かえる場合もある。そのときそのときに一番効く 「良薬」を処方し、臨機応変に対応するのも 演奏者の力量の見せどころの一つであるように思う。

け- 血液型が4種類しかないところに、60億人の 性格を当てはめようとする発想はバカげていることは 百も承知で、私ははじめて打ち解けて話す人に 「O型ではないですか?」と気がつけばやっている。 かくいう私は「典型的な」A型人間である。

こ- コンクールは若い人材を発掘し、応援するためにある、 というのは残念ながら建前であることが多い。 自分にとって何のプラスにもならなければ(マイナスに なるのであればなおさら)大人たちはそんな場を設ける わけがないのである。出場者も審査員も人間であり、 弾く側、審査する側、聴衆、メディア、スタッフそれぞれの 思惑が交叉するさまは、コンクールが大きくなればなるほど グロテスクで、あたかもそこは「煩悩の坩堝」のように なってしまう。だから、若い人は落選したくらいで、自分の 可能性に不信感を持つ必要は全くないのである。

さ- 才能とはセンスがあること、そして一つのことに 対する興味を生涯持続できることにあるように思う。 そこの部分のピントさえ絞っていれば、他が多少破損ぎみでも 何とか自分なりの道を見出して行けるように思える。

し- 「死んでしまいたい!」と心の中で絶叫しているような時は、 大抵エネルギーが有り余っている時である。

す- スポーツクラブは、まず通うこと自体に意義がある。 なぜならば、例えウェアに着替えて、マシーンに触れただけで 帰ってきたとしても、すでにそれだけで普段よりは運動を していることになるからである。

せ- 瀬戸際に立たないとエンジンがかからない人は敢えて 自分を窮地に立たせたほうが良い場合がある。私はまぎれも なくこの類の人間で、ゴールが見えていなくてもコツコツと 修練を重ねていける人を尊敬する。

そ- 総理大臣とは、就任と同時に槍玉に上げられる職種の ことを言う。程度の違いこそあれ、 これと同種のポストに「~長」の肩書きを持つものがある。 全体から集中的に非難を浴びるトップが良いか、 板ばさみにされる中流がラクなのか、非難はされないが ずっとうだつの上がらない「一般人」でい続けるのが幸福かは、 その人の生き方や主観による。

た- “太陽は直視すれば目がやられる。 近づきすぎると死ぬ。これと似たようなものに 「大スター」がある”というような記述を 子供の頃に映画雑誌で読んで、かっこいい!と喜んで いた私には、見事に凡人の感覚が備わっているようだ。

ち-チゲ。キムチの入っていない冷蔵庫は、 私にとって気の抜けたコーラも同然、というくらい 私は韓国料理が大好きだ。新しいキムチは夜食に 食べ、少し古いものは豚肉と炒める。 さらに古いものは豆腐といっしょに煮込む。 私にはこれを半永久的に繰り返しても飽きない自信がある。

つ-椿姫。私ははじめてオペラを観に行ったとき、 瀕死の病人がなぜあのように意気揚揚と大音声を張り上げる ことができるのかが不思議だった。その頃は リストやモーツァルトの音楽にそれほど慣れ親しんでいなかったので、 この大げさな「茶番」こそが快楽であり、 ロマン派精神のバックボーンであるという ことをまだ理解できなかったのである。 いつしか、私はイゾルデが悶絶死する場面で 震えが来るほど感動するようになってしまった。

て- テクニック。音楽家は同僚のことを簡単には 褒めたがらない。敢えて持ち上げるときは 「テクニックがある」というセリフにとどめることは 万国に共通している。 私は未だに、なぜ我々が仲間の音楽上の資質を褒める ことをまるで最後の砦を死守するかのように避けるのか 不思議でしょうがない。水準に達している演奏で、 指だけが回りまくって 音楽性が皆無なものなどあり得ないのである。 単に趣味の相違ではないのか?と思う。

と- 統一。ベルリンの壁が崩壊した夜、私は 友人数名とお茶をしていた。家に帰ってニュースで 知るまで(正確に言うとニュースを見た友人から電話 がかかってくるまで)私たちはこの事実に気がつかなかった。 そういえば20年前からタイムマシンに乗って現在に やってきたような服装の若者が次々と店に入ってきたのであるが あれは、壁を乗り越えてやってきた旧・東ドイツの若者だったのだ。 西ドイツ政府から祝い金の100マルクを受け取った彼らの ほとんどが、まずスーパーでチョコレートとバナナを買い、 それからマクドナルドに行った、と言うことだ。

な- 慣れ。「行きはよいよい、帰りは・・」というフレーズが あるが、むしろ私には旅に出ると決まって行きの移動時間より帰りのほうが 短く感じられる。演奏会に向かっているときは雑念が多いせいか、 帰りは疲労しているためか、人には「距離感」にすばやく慣れてしまう 習性があるからか、私にはよく分からないが、いつもこのことを 不思議に思う。

に-握り拳。注射や血液検査などの時、たいした痛みではないと 分かっていても、「親指を中に入れて握ってください。」と言われて 針が腕に触れた瞬間、一瞬だけだがやはり少し緊張してしまう。 昔の人は切腹などという荒業をやってのけていたなんて 信じられないことだ。

ぬ- 塗り絵。「ぬり絵」と書いたほうがしっくりくる。 子供の頃、「はみ出さないように」と念じた瞬間にすでに クレヨンの色がはみ出して顔の輪郭が膨張したりするのは、 割ってはいけない!と強く念じた途端コップをとり落とすのに 似ている。私は不器用で、よくこういった失態をやらかし、 心の中でこの現象をひそかに「恐怖の逆暗示作用」と名づけている。

ね- ネジ。私見では、誰にでも「一本ネジがぶっ飛んだような」 極端に偏った一面がある。 (私にもあるが、敢えてここでは公開しない) 互いのその「狂気」を心から笑い 合えたならば、その人と相性が合っているなによりの証拠だ。

の- ノスタルジア。私の最も好きな言葉のひとつである。 旅行に出て、今まで見たこともない景観に遭遇したりすると この言葉を思い出すのが自分でも不思議であるが、 その理由は多分言葉では説明できないであろう。

は-初めて一人で図書館で本を借りた時。初めて 電車のチケットを買ったとき。初めて飛行機に乗ったとき。 初めて車を運転した時。一人暮らしを初めてした時。 初めて知人の葬式で弔辞を読んだ時。 年を取るということは、この「はじめて」が残り少なくなって 何事にも驚かなくなっていくことである。

ひ-光。飛行機で一時間ほど飛べば、大抵どこへでも行けてしまう ヨーロッパであるが、その中にも歴然とした文化や国民性の 違いがあるのが面白い。ベルリンから1時間ほど北上した ストックホルムと、2時間南下したミラノとの1番の違いは 日照時間であろう。冬のスウェーデンでは日照時間が 2、3時間しかない日があり、自殺率が高いのだという。 イタリア人は大らかでおしゃべり好きではあるが、 南に行けば行くほどかえって保守的な考え方の人が 多いように思う。よって、次のような公式が成り立つ。 「日照時間は躁鬱に影響を及ぼすところが大きいが、 保守的か否か、ということには全く関係なく、むしろ 赤道に近くなればなるほど人は保守化する。」

ふ-不眠症とは眠ることができなくなる症状ではなく 「眠るべき時間に眠たくならない」症状で、 やはり24時間のどこかで猛烈に眠い。

へ-扁桃腺。「これ以上働いてはいけません」 と私に向かって厳かに告知し、数日間寝たきりにさせたりする、 いわば「私の上司」。

ほ-保留。「この話は保留ということで。」と仕事などで 先方に言われたときは、大抵断られたということなのであるが、 これは日本語独特の言い回しであろう。 ドイツ人だったら「ダメなものはダメだね。」と来る。 少々傷つくが、大変分かりやすい。

ま-漫画。手塚治虫は、誰がなんと言おうと私にとって 「最も神に近い人間」の一人である。この先、もし「あの世」で お目にかかれる日がくれば、おそらく私はベートーヴェンに 遭遇するのと同じくらいの畏怖と尊敬の念を持って彼の前に ひざまずくに違いない。

み-水に炭酸を入れるのはヨーロッパ独特のものだ (最近は日本でもあちこちのレストランでも注文 できるようになったが)。最初は馴染めなかったが、 習慣とは恐ろしいもので、ベルリンに住み始めて 2年も経ったころには、私は炭酸なしの「ただの水」を 飲むのに違和感を覚えるようになってしまった。

む-無音。ヘッドホンを使った電子ピアノで練習すれば、 周りは静かに過ごすことができるかと言えばそれは間違いである。 ショパンのノクターンだったらまだしも、ラフマニノフの コンチェルトを弾けば鍵盤を連続して強打する音はもちろん、 楽器そのものが勢いで振動し、それが壁を伝わり、 部屋中がズンズンと揺れるさまはかえって壮絶である。 以前、とあるコンクールを受けに行ったとき、特設の大練習場に この無音ピアノが数十台まとめて置いてあったのだが、 数十人のピアニストが血相を変えて一斉にカタカタバンバンと 練習している光景はまるで戦争のようであった。

め- 目。 東洋人には髪が黒く、目が茶色(または黒)の人が 多く、白人は青い瞳にブロンドというのが定番である。 たまに、瞳の色が淡いグリーンで、髪が黒々としている 南方系の人がいるが、このコンビネーションはとても 美しいと思う。

も- モーツァルトを弾く時はショパンのしなやかさを持ち、 ショパンを演奏する際にはモーツァルトのように明晰で 透明感のあるタッチを使うべきである・・のだが、 全く、「言うは易し」である。

や- 約束。私は小さい頃、母親から 「大人になったら沢山稼いで、ダイヤの指輪と毛皮の コートをプレゼントしてね!」と約束させられた。 (もちろん冗談だったと・・思う、のだが、それにしても 今思えばなんという「マテリアル母ちゃん」であろうか) やっとこさその二つくらいは買って上げられるようには なったが、毛皮を着てもいい時代は終わってしまったし、 年老いた母が果たして未だにキンキラな指輪を所望しているのかが 不明であるので、この約束はまだ実行されていない。

ゆ- ユーモアの違い=文化の違い、と言っても過言ではない。 いつだったか、ドイツ人の友達から 「二人のヴィオラ奏者の違いは?答えは半音!」という はやりのヴィオラ・ジョークを 聞かされた時も、語った本人が一人で大笑いしていて 私はポカンとしていた、といういい例がある。

よ- 要領の良い者は、無駄な思考を頭に巡らせることなく 何事に対しても器用で、 それぞれの道で大成する人が多いことだろう。 それは素晴らしいことではあるが、私は 走れなくなった駿馬を安楽死させることについて いつまでも考えたり、感動した映画の筋を友達に語っている うちに思わず涙ぐんでしまったり、宇宙の果てについて 想像を膨らませて眠れなくなったりすることが全くない人には、 あまり魅力を感じることができない。

ら- 裸眼だと、極度の近眼である私は、文庫本の文字どころか 白鍵と黒鍵の区別さえつかない。私の一日は、ベッドの下の 眼鏡を手探りで探し当てることから始まる。

り- 料理。つらつらと愚考するに、私はセンスの良い芸術家に 料理オンチはいないのではないかと思う。服装に無頓着な人は いくらでもいるのは、食べることがファッションよりも、人間の本能に 近いということなのであろうか?

る- ルームランナー。家でリサイタルプログラムを一通り 弾き通したものをMDに録音し、イアホンをつけて ジムのランニングマシーンでジョギングを兼ねつつ演奏を チェックできたらさぞ時間を短縮できて良いだろう、と 私はこれを試みたことがあったが、ムリであった。ジョギンングの 振動が大きすぎてウォークマンが止まってしまうのである。 CDは言わずもがな。 一度に沢山のことはできないものだ。

れ- 練習のメニューと方法はまるで季節が徐々に移行して いくかのように少しずつ変わっていくものだ。そうして1年くらい 経って、同じような練習方法に戻っていることが多い。 昔、尊敬していた人に「成長の過程は螺旋階段を登るようなものだ」 と言われたことを思い出す。同じようなところに戻ってきても、階段を 一周してきて、前より一段上に登った、 ゆとりのある視点から考えを押し進めていけたらと思う。

ろ- ロンドン。とある映画で大いに感銘を受けてからというもの、 20歳の時に初めて訪れる日まで、 ロンドンは世界中でもっとも憧れていた町であった。 期待が大きすぎたせいか、私はさほど感動しなかったのだが、 そのロンドンのコンクールにて、私は悪友Yと数年ぶりの再会を 果たし、それから長い、本格的な修行の時代が始まったといえる。 ちなみに二人とも、この時は予選で落選した。

わ- 我が家。ヨーロッパに住んでいたとき、私にとって一番くつろげる 場所はベルリンのボロアパートであった。たとえ日本に一時帰国しても、 帰りの飛行機がベルリンの飛行場に着陸すると心底ホッとしたものだ。 今、一番落ち着く場所はどこかと言えば、それは現在住んでいる東京の マンションである。つまり一番落ち着ける「我が家」と自国人としての アイデンティティは無縁のものなのである。 を、ん から始まる言葉は・・・なさそうですね。

一言で作曲家を斬る!

私が作曲家の名前から連想する言葉で 最も重要だと思われるものを(敢えて)一言ずつ。

スカルラッティ   太陽
バッハ       教会
ハイドン      イギリス
モーツァルト    父親の影
ベートーヴェン   艱難、克服、歓喜。
シューベルト    旅人
ショパン      ノスタルジア
シューマン     分裂
メンデルスゾーン  幸福感
リスト       天然の名優
ブラームス     あきらめ
フランク      オルガン
ドビュッシー    光
ラヴェル      幻想、スペイン、子供の世界。
ドボルザーク    アメリカ
ヤナーチェク    慟哭
メシアン      神の愛
ファリャ      オリーブ畑、フラメンコ。
ショスタコーヴィチ 愛国の念、パロディー
チャイコフスキー  バレエ
プロコフィエフ   サルカスム
ムソルグスキー   酒(!)

(スクリアビン、ラフマニノフ、サンサーンス、 バルトークについては 印象が一言にまとまりませんでした。「目からウロコ」な 言葉を思いついた方は是非ご一報ください・・・)

続・典型的日本人の弁

今までの人生の半分近くを外国で暮らした私は、 「外国生活で一番印象に残っていることはなんですか?」と 聞かれることが多い。帰国した頃は思いつく限りのことを しゃべり散らしたものだが、最近は、 「自分が典型的な日本人なんだなぁ。ってことです」と 答えている。日本人の両親を持つ私にとって、 外国に行けば当然、自分の潜在意識とかけ離れたメンタリティーを持つ 人々に出会う。私はそれらの違いに慣れることはあっても、 結局完全に同化することはなかったように思う。

日本とドイツの国民性において、明らかに違う事柄で思い当たるものがある。 例えば日本の会社や学校において、人望を集めるために必要なものとして 「ユーモア性」というものが多分に重要視されているのは 日本人の特性ではないだろうか。
いかに仕事や勉強ができても、人を少しも笑わすことができない者は 他の人とのコミニュケーションが取りずらく、注目を集めることができない。 売れっ子のコメディアンがメディアの長たる者として「天才」と尊敬を集めたり、 政界に進出したりする風潮は日本独特のものであるように思う。 だから「面白くないヤツ」のレッテルを貼られることは非常に不名誉なこと なのである。

それと同じように、ドイツ人は自分が“Langweiler=退屈なヤツ”だと 評されることを異常に嫌う。ただしこの場合、日本人の思う退屈と 決定的に違うのは、 「人を笑わせることができない」ではなく、 「他の人と議論を戦わせることができない」を意味しているということだ。

ある人が一つの意見を述べたとしよう。そこで別の人が その意見を素直に肯定してしまったら、会話はそこで終わりである。 そこで、最初の意見を否定するとまではいかないにしても、 少なくとも他の着眼点から自分なりの意見を「言い返す」と、 相手はたちまちノッてきて、また相反する意見を述べるというように、 議論を繰り広げることでコミニュケーションを図るのがあちら流なのである。 A「僕は○に関しては~だと思う。」
B「いや、それは違う。なぜならば他の視点に立ってみたとき・・」
A「しかし・・」
というあんばいである。そして彼らはこの議論が途切れるのが罪悪であるかのように いつまでも会話を楽しみ続けるのである。 (二人で同時にしゃべっている事態も頻繁に発生する。) 私は留学した当時、(もちろんある程度ドイツ語が分かるようになって からではあるが)二人のドイツ人の議論を聞いて、これはケンカなのかと 驚いた記憶がある。そして不思議なことに、その会話には結論のようなものは ついに見出されることはなく、それまでほとんど二人で同時にしゃべっていても 終バスの時間が来るとピタっと会話は終わり、何事もなかったかのように 「また明日!」とにこやかに二人は別れを告げて立ち去るのである。

これを日本でやったらどうか。相手のいの一番の発言に対して 「ちがうね。」などとやろうものなら、あらゆる商談、友情の発展、 出世の道は閉ざされること間違いなしである。

私の師であるH先生は、私にこの文化の違いを理解しなければならないと言った。 そのときはベートーベンのソナタの作品110のレッスンを受けていたのであるが、 性格が極端に違う最初の2楽章のコントラストが足りないという指摘であった。 「2楽章の出だしはもっとまったく新しい意見をぶつけるように弾きなさい。 それまでの穏やかな世界の一切をここでいったん完全に 否定するくらいの気持ちで。」

おそらく私のはあまりにも「社交的な」解釈だったのであろう。H先生曰く、 ヨーロッパの文化には、二つのの相反する考えをぶつけることによって、 さらに新しい境地に至らんとする意志が働いている場合が多く、 そのエネルギーは我々東洋人が想像しているよりかなり アグレッシヴであるという。確かに作品110のソナタにおいては、 穏やかさ-怒り-暗闇の底-崇高な世界への浄化・新たな生命力 という風に、 楽章同士のコントラストそのものが次の楽節の曲想を呼び、 輝かしくも力強い結末に至っている。これが仮に 2楽章が1楽章を肯定し、3楽章が2楽章の趣旨を反芻するような曲想では、 このようなドラマチックな展開は望めない。

しかし、なにもここでヨーロッパ人のメンタリティーに完全に同化するために 議論の大家になるべく反論するための修行を積まなければならないわけではない。 (終バスの時間とともになんの解決も進展もなく終わる、 意味のない議論というものだってたくさんある。)

外国の文化に強く共感しながらも、それに完全に同化することなく、 むしろ冷静な「第3者の目」を持って曲に携わっていくのが 東洋人の強みではないだろうか?

「しなやかな」日本人としてのアンテナを持ち続けていくことが 私の理想なのである。

典型的日本人の弁

「君はいかにも日本人的な人だね」と外国人に言われたら、 私たちは皮肉を言われているのではないかと不安になるものだ。

同じようにドイツ人が自分のことを「typisch deutsch=典型的なドイツ人」 と批評されていい顔をする人はあまりいない。 私たちに共通しているのは、自らの国民性に対するコンプレックスが つきまとっていて、外国人にはなるべく自分の姿と重ね合わせてほしくない イメージがいくつかあるということだ。 例えばそれが日常会話で話題にのぼるのを避けなければ ならない歴史上の過去の過ちであったり、群れをなしてカメラをぶら下げて ブランド品のバーゲンセール巡りをしたりする「ダサい姿」であったりする。

逆に不思議なことに、私たち日本人やヨーロッパ人がどれだけ皮肉を 込めて「あの映画はなんてアメリカ的なんだろう。」と言い放っても アメリカ人はそれほどダメージを受けている様子はない。 インテリのヨーロッパ人がどれだけアメリカ文化をコキ下ろそうとしても、 各地にファーストフード店や遊園地が次々に建てられていく“勢い”を 阻止することができない。(ちなみに私は幼少期をアメリカで過ごした せいか、ジャンクフードにはまったく抵抗がなく、ベルリンやパリなどで友人たちの ファーストフード批判の熱弁をフンフンと聞きながらその足で マクドナルドに行ったりしたものだ)

以下は私が10年のヨーロッパ滞在において感じ取った、 外国人から見た各国のイメージである。(もちろん偏見もあるかもしれない。)

「フランス的」 ドイツ人はある種の憧憬を持って使う言葉。インテリの使う
ドイツ語の日常会話にフランス語の単語が多数用いられるの
に対しフランス語のなかにドイツ語が起用されているのを
聞いたためしがない。

「イタリア的・ 大抵の場合において賞賛の言葉。この言葉は
スペイン的」 口にするだけで心が和むほど、我々は南国に対して強い憧れ
を持っている。
私はインテリではないが、日常会話の中で
「イタリア映画を観てきた。」と「アメリカ映画を観てきた。」
では言葉の重みが違うのではないかと愚考する。
それにしてもこの2国をモチーフにした作品の数は膨大で、
リスト、ラヴェルからヘミングウェイに至るまで、外国人の
芸術家にとって最も引出しの多い国々であるような気がする。
(ただし別荘を持っても住んではいないところがミソである)

「ユダヤ的」  この言葉の持つ響きは重いが、
やはり一目をおかずにはいられない。私は留学中に、
各国のガールフレンドと付き合うたびにその国の言葉を
マスターしていって、今は十数ヶ国語(!)を自在に操れる
ユダヤ人に会い、舌を巻いたことがあった。いろいろな人が
いることを知ったが、知れば知るほどにおもしろく、やはり
引出しが非常に多い。

なかなかまとまった時間は取れないが、私はいつかインドに行ってみたいと思う。

無題

私の周りには音楽家になることを断念し、 今は別の道で成功している人が三人いる。 一人は私が東京のT学園に通っていたとき、 作曲家になるのを思いとどまって 5年浪人する計画で医大を受験するべく 勉強をはじめた。

別の一人は他の特技をフルに生かせる企業に 就職した。つい先日も彼女の職場を訪れたが、 その生き生きとした仕事振りを見るにつけ、 彼女が方向転換を決意した当時、周りの 音楽仲間とともに感じたポジティブな驚きと 賞賛の気持ちを改めて確信したものだ。

もう一人は、今は二児の母親である私の実姉である。 私は幼少の頃、ピアノを弾いていた 姉に触発されてピアノをはじめたが、 やがて彼女は音楽することをやめ、 その後進学校から国立大に進み、今は仕事をしながら 子育てをしている。 親から見ても多分、心配するところを見つけるのが 困難であろうと思われるほど模範的な育ち方をしてきた 姉が「子供としての親孝行な部分」を子供二人分 根こそぎ持って生まれてきたような人であるのに対し、 私は「渡りきれるとの保証のない橋」の上を 我が儘に歩き、両親の寿命を縮め続けてきた。

やめて別の道で成功している人の話を聞けば、 音楽を目差している人は誰もがその人ことを賞賛するだろう。 それは、彼らが「音楽をスッパリやめる」ということが どれだけ勇気を要するかを知っているからだ。 物心ついてから現在に至るまでの夢や信念、 磨いてきた技術を一切忘れて、新しい分野に 生きがいを見出して行くことは悪夢に近い苦行であろう。

しがみついて音楽し続ける者は、その意義について 「自分にはこれしかないから。」と信じ込みたいものだ。 だが、その一見強靭で一途な気概の中に 「やめる勇気がないから」という気持ちが 微塵もないと言い切れるだろうか。

音楽家にとって一番幸せなときは、なんの雑念もなく 自分の存在と行動の意義に確信を持って 取り組んでいるときであろう。つまり、 「本当に好きだからやってるんだ!」と 自信を持てるときである。

ある程度納得のいく内容の演奏をした後には その都度、それなりの充実感を得る事ができるであろう。 しかし再び行き詰まったときには 「続けるのは自分が強いから?それとも弱いから?」と 自問自答しなければならないような場面が必ずやってくる。 全身全霊、音楽に打ち込めているか? その気持ちはピュアなものであるか?

音楽を続けることにあたっての最大の試練は、 「音楽をずっと好きであり続けること」という、 実に単純なものなのである。

友だちの肖像

Yは私の20年来のピアノ弾きの友人である。 はじめて出会ったのは小学6年の時、とあるホールの 楽屋を共同で使ってからである。 その後高校大学、留学先まで奇しくも一緒だったという そのキャラクターも実にユニークな人だ。 彼は実に飄々とした性格の持ち主で、身なりなどにも一切構わない。 高校の水泳の時間に着ていた緑色の水泳用トランクスは 5年後ロンドンで再会した時にも持参していたし、 そのまた5年後ベルリンで泳ぎにいった時もまだ 着用していた。同じように高校時代から見覚えのある セーターなども、10年経ってからもまだ愛用している。 よく見ると肘のところに小さな穴が空いていて、会うたびに その穴がどんどん大きくなっていく。彼はそれでも 飄々としている。 「肘の穴、広がったねぇ。」 「うん。」という具合である。

私が人や物事を細かく観察するのに対し、彼は 周囲に全く流されることなく自分のペースを 崩さない。はたから見ていて「やめたら?」と思うような 困難なことでも一度こうと決めたら、黙々と生活を続ける その姿は健気なほどである。 ベルリンにともに留学していた時、彼は引越し魔であったが、 彼が真冬に一時期住んでいたアパートを訪ねたとき、あまりの 寒さに仰天したことがあった。その当時でもすでに珍しかった 木炭暖房(炭を買ってきて暖炉の中に入れて燃やす暖房器具) 付きのアパートで、「節約のため」と称し居間の暖房しか 付けないものだからコートが脱げない。 台所などは零下の気温で震え上がるほどの寒さだ。 ふと思い立って冷蔵庫を開けてみると 中の温度計は「1度」になっていた。なんと冷蔵庫の中のほうが 室温より暖かかったのである。 「この冷蔵庫・・・意味ないから電源抜いたら?」 コートを着たまま私がそうコメントするのを聞いているのかいないのか、彼は 居間の暖房の前にしゃがみこんでせっせと木炭を運び入れ続ける。 そして不思議なことに、彼はその後姿から大変な思いをしている という悲壮感を全く感じさせない。

初見やソルフェージュに関しては 驚異的な能力を持つYであるが、普段はあくまで 飾らず、気取らない。 「格好つけたりするの、苦手だから」と言うのが常である。 去年、同級生である女友達とYが二人で私の東京の家に 遊びに来た。食事を終えて会話が弾んでいた矢先、はたと Yはテーブルから離れてカーペットにしゃがみこみ、 「耳掻き」をはじめた。 多分、急に彼にとって会話することよりも 「耳をお掃除すること」のほうが大切になったのである。 不動のまま耳掃除を続けるYをまじまじと見つめていた 女友達はやがて大笑いし、後からも「傑作な人ねぇ!」 と大喜びしていた。久しぶりに会ったYは全く変わっておらず、 むしろ私は彼が20年もの間ペースを崩さないことに感心した。 お互いに「混み入っためんどくさい話」は苦手なので 会話もざっくばらんである。でも彼の音楽的な素養や 感覚には実に優れたものがあるので、退屈することは 皆無だ。才能や知識をひけらかすことなく、肩の力を ぬいた状態で気のおけない仲間と色んな話ができるのは 至福の時である。

今月、そのYが東京でデビューリサイタルを開くので、私は 今からとても楽しみだ。

感受性

ある特定の曲を聞くと、その曲をよく聴いていたとき (あるいは勉強していたとき)に起こった様々な事柄が 思い出されてくる、というのは恐らく誰にでもある経験だろう。

私は武満徹の「12月の霧と菊の彼方から」というヴァイオリンと ピアノのための小品を聴くと、その曲に取り組んでいた時の 事柄がまざまざと脳裏に蘇ってくる。
私がこの曲を弾いた時はまだ中学生で、アメリカの講習会に参加していた。 その時共演した相手、レッスンを受講した先生の顔はもちろんのこと、 会場である、とある大学のキャンパスの中のホールの木目調のデザインや、 夕方、練習が終わった後にすでに閑散とした廊下が余りにも 静かなので、ジュースの自動販売機の振動音が異常に大きく 感じられたとか、そんな細かい記憶まで鮮明に蘇ってくるから 不思議だ。この頃に自分が「外界」から 感じ取っていたことを思い返すと、その当時の 自分の観察眼の細かさに驚かされる。 そうして、そのような20年近く前の思い出を 思い起こしたときに、私は決まってある種の不思議な寂寥感に襲われる。 正確に言えば、多感な頃に私は「言われもなくもの悲しい気持ち」でいる ことが多く、そして非常に繊細な観察眼で周りを見渡していたのかもしれない。

そんな独特な感覚の片鱗がまだ自分の中に残っているだろうか?

昔なつかしい場所に大人になって戻ってみると、子供の頃に抱いていた イメージとは違っていて意外にもなんの感慨も湧かなかった、 というのは良く聞く話だ。 今、アメリカで講習会を受講したキャンパスに戻っても 私は無感動に廊下を通り過ぎるのではないか? 子供の頃の感受性には感動を受信するための「細かく震える弁」 のようなものがあって、大人になるにつれてその振動が だんだん鈍くなっていくような印象を受けることがある。 そうして、私はそのことがとても怖い。

点と点が線になるとき

私が今まで師事した先生からのアドヴァイスや、 見聞きした言葉全てを合わせると、膨大の数になるであろうから 全てを正確に思い出すことは困難である。 ただ記憶の混沌とした空間の中に、他よりも特別な光を放っていて 忘れる事のできない言葉というものは点在しており、 そのいくつかの「点」が何かの拍子に 意味を持って結ばれた時に、 道標の役割を果たすことがあるのは事実だ。

私が師事したH先生がエッセンという町の音大で 教え初めて間もない頃、門下にとあるドイツ人の弟子がいた。 彼は非常に熱心な生徒であったが、 不器用で演奏のレベルがとても低かったという。 彼が演奏家として大成することはまずないと思った H先生は彼の今後の生活を思い、 早いうちに思い切って他の道に進んだら、と勧めてみた。 彼ははじめガッカリしたが、熟考した後に別の大学を 受験し直したそうだ。 「助言する事には勇気を要したが、正しいアドヴァイスをする事ができた」と H先生は胸をなでおろし、やがてベルリンの音大教授に就任したのでエッセンから ベルリンへ居を移した。 数年の後、久しぶりにエッセンの町に戻ったH先生は 音大の建物の中で、別の大学にいるはずの件の学生にバッタリ会った。 「どうしたの?」と話しかけた先生に、彼は 「一旦別の大学に進みましたが、どうしても音楽が忘れられずに またこの学校に戻りました。ソリストとして大成することができなくても、 何らかの形で音楽に携わって行きたいんです。」と答えた。 この時先生は非常に感動したと言う。

この話を聞いた時、私は先生と、奥様でやはりピアニストのM夫人と 3人で食事をしていたのだが、先生は懐かしそうに目を細めながら こう語った。 「自分のために音楽する、という気持ちを持っていたという点において 彼は音楽家だったんだなあと思うよ。 私か、あなたか、(夫人を指差し)Mの3人の誰かが 『明日からピアノを弾きません』と言ってピアノの蓋を閉じても 本当に困る人は誰もいない。そうだろう? やめたくてもやめられないほどの気持ちを持ち続けること そのものに価値があるんだと思うよ。」 そんな話を聞いているうちに私の中で何かがストンと落ちた。 奇妙な話だが、H先生の話を聞きながら、私は全く別の人による 別の言葉を連想していたのである。それは、 「聖書において、数々の奇跡の事実があったかどうかについて 考えることは無意味である。宗教とは個人の心の中の 動きであり、動いている心の中に確かに神は存在するのであるから。」 という遠藤周作の言葉だったのだが、 双方の言葉がオーバーラップして、私の中で初めて生き生きとした意味を 持ち始めたような気がして、心が軽くなったのである。 私は多分この頃、賞を取ることなどに対して ガツガツし過ぎていたのかもしれない。

何も私はこれらの言葉によって、罵倒されても泰然としているような 聖人になったわけではない。ただ、音楽家としての「ガッツ」とは 何かと考えたときに、 「それは、成功して有名になることなのか?」 「何が大事なことなんだろう?」 というようなことを考え始める一つのきっかけになったと思い、 このことに感謝している。

ハプニング

本番中の集中力とは不思議なもので、例え風邪を引いていて ひどい咳をしていたとしても、演奏している間だけ それがピタリと止むものだ(そして演奏後、楽屋で今までの分を 取り返すかのように猛烈に咳き込んだりする)。 だからコンサート前に多少の熱があったとしても、 弾けないのではないかという不安に陥ったことは実はまだない。 「舞台に上がってしまえばなんとかなるさ。」 と信じ込んでいるためである。 私がかつてフランスのコンクールで演奏し終わった後に、 楽屋にかけつけてくれた友人に開口一番、 「テレビカメラのセッティングの音がうるさくて かわいそうだったね・・」 と言われた時も私には実感が湧かなかった。 正確に言うと私にはその音が聞こえなかったのである。

演奏中に地震や停電が起きたことはまだないので、その場合は どうなるのかここで述べることはできないが、実は一度だけ 舞台の上で「どうしよう!」と本気で焦ったことがある。 それはイタリアのコンクールに参加したときだ。 その日はモーツァルトのコンチェルトを演奏したのだが、 舞台に出てみると、前の出場者がピアノの椅子を やたらに低くしていたので高さを変える必要があった。 ご存知のようにコンサートピアノの椅子には両端に「耳」のように 高さを調節するためのツマミがついていて、それを回して高さを 変える仕組みになっている。しかし、なぜかその椅子の ツマミはとても固くてなかなか回らない。キューっと両手に 力を込めて回してみてもびくともしない。 オケも指揮者もこちらを見ながら待っている。 意を決して「むんっ!」と力を入れた瞬間、激痛が走った。 ツマミは回ったが、右手の二の腕の筋肉がぎゅんぎゅんと 縮まっていくのが分かる。プールの壁を蹴った時に起こるこむら返り、 あれに二の腕がなったのである。 腕が吊ったからと言って引き返すわけにはいかないので、 左手でそっと椅子を調節し、漸く指揮者に合図を出した。 (ちなみに演奏後、指揮者に「始まる前、かなりナーヴァスに なっていたね。」と言われたが、そうではない。あれは 苦痛をかみ殺す悶絶の表情だったのだ。) 颯爽とオケの前奏が始まったが、私は焦っている。 「一音出しただけでも痛いかもしれない・・」 非情にもオケは曲を快調に弾き進み、それにつれて刻一刻と 私の出番が迫ってくる。前奏の最後の部分になって、 私はふとプールで足がつった時に、足を手で持って 脛のほうにぐっと近づけて治した事を思い出した。 「筋肉が縮まっている逆の方向に伸ばせば 治るにちがいない・・」 会場の聴衆は私の異様なポーズを不審に思ったに違いない。 なんと私はオケと聴衆に挟まれた舞台上でおもむろに 二の腕のストレッチを始めたのである。 じっくりと筋肉を伸ばし深呼吸を2回ほど繰り返して、 「よし!」と思ったのは出番の4小節前になってからだった。 「集中力の不思議」が幸いしてか、演奏中は全く痛みを 忘れたのは有難かったが、私が舞台上であんなに焦った経験は 私が記憶している限りあの時だけである。

地震などの天災はもちろん起こってほしくはないが、 停電が起こっても私は弾き続けているだろうか? 「集中力の不思議」がその時にどう対応するのか、 それを知りたいと私はひそかに思っている。

ベルリンの冬

ここ数日で随分と寒さもやわらぎ、過ごしやすくなってきた。 永年ドイツにいた私にとって、この早い春の訪れは なんだか甘やかされているようで、不思議な感覚だ。 5月の、それも中旬になって漸く太陽が姿を見せ始める ベルリンの長い冬を繰り返し体験していたので、 寒さとともに過ごした記憶が体に刻み込まれているらしく、 帰国して1年経った今でもその感覚は鮮明に残っている。

零下15度の張り詰めた大気が数日振りに気温が0度近くまで 回復すると、空気は変に生暖かく、だれた印象さえ受ける。 重苦しい灰色の空が町中を覆い、同じような天気が 何週間も続く憂鬱な長い冬には、それでもオアシス的な 瞬間がある。それは降雪するときだ。

雪には吸音効果があるのか、大粒の雪が降り始めると町の騒音は消えて 辺りは不思議と静かに感じられる。そうして決まって、気のせいか 雪が降り始めてしばらくの間は寒さを忘れるものだ。 「今日は降るに違いない」と思って足早に歩いていても 実際に降りだすと緊張感がほぐれて、肩に降り積もるにまかせて 雲がどれほど厚いのか空を見上げたりする。積もった後の雪の 処理は大変なものだが、私はこの瞬間が好きだった。 降り始めの雪には不思議な癒しの力がある。

昨年10年ぶりに日本の夏を経験して痛感したことは、日本には 太陽が多いということだ。そして帰国から1年経つまで 脳裏をかすめもしなかった感覚の片鱗が、今更のように ぽつぽつとひとりでに蘇ってくることにある種の感慨を覚える。

日本にしばらく居たら、まずベルリンの食べ物が恋しくなるかと 予想していたのだが、意外に私が今最も懐かしく思い返しているのは、 あれほど憂鬱だった厳しい冬である。 ドイツに住んでいた頃は日本の暖冬がうらやましくて しょうがなかったのに、ないものねだりとは良く言ったものだ。