リストのいる部屋

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Special

Yearly Archives: 2002

同窓会

私の同期や、近くの学年の世代には「おもしろい男の子が沢山いて楽しみだね。」と私の 恩師がいつも言っていたを思い出す。 同世代の音楽仲間の中には、楽壇を代表するような 著名な演奏家になった人、日本とヨーロッパを 行き来している人、ずーっと海外に行ったまま 帰ってこないけれども向こうで頑張っている人、 人それぞれだ。 私はといえば、留学の後半くらいより、 日本を行ったり来たりするようになってから、 日本に帰りたくて仕方がなくなったきた。

4、5年前、イタリアの小さな町でコンサートに 出演したことがあった。 打ち合わせ通りの時間に会場に着くと、 まだ調律が終わっていなかった。

調律担当の、デップリと太ったイタリア人の テクニシャン氏、待てど暮らせど仕事が 終わらない。私はピアノの側まで歩み寄って、 英語で彼に訊いた。 「あのー。そろそろ練習したいんですけど、 いつ頃終わられますでしょうか?」 すると彼は厳粛なる口ぶりで、銀ブチ眼鏡を光らせ、おもむろにこう答えた。 「ピアノは生き物と同じで、非常に繊細な楽器だ。 私は今この楽器と“対話”をして 慎重に様子を窺っているところなので、正確な 時間は言えない。もうしばらく経ってから 来てくれ。」コンサート開始まであと2時間を 切っていたが、そんなことは彼の知ったこと ではないらしい。

この時に味わったある種の「無力感」とも言うべき ものを言葉で表すことは難しい。 ベルリン時代の師・D先生は口癖のように、 “You always have to fight if you want to make a carreer!”「いつも戦え!」と言っていた。 もちろん、その時に目をむいて、「フザけんな! こちとら観光でやってきてるわけじゃねぇよ! さあさあ練習するから、失せろッ!」 と喰ってかかることは可能ではあったし、 向こうの調律師たるもの、皆ああではない。 むしろ彼は例外的ヘンジンだと言えるだろう。 ただ私はその時にふと、 「そろそろ、日本に帰ろっかな・・。」 と思ったのだ。 向こうの言葉がしゃべれるようになったから、 心がより通じやすくなるとは限らない。 メンタリティーの壁は言葉のそれより遥かに 大きいものなのである。

先日、母校の創立記念コンサートで、何人かの同僚に久しぶりに会った。 こういう催し物は同窓会のようでとても楽しい。 別れ別れになってからの仲間の 進路は多種多様だ。色々あったが、私は 「今自分がいるところ」には至って満足している。 また数年後に皆で集まって、積もった話題を交換 するのが楽しみだ。

ホールの神様

私はとある人に、 「コンサートの回数の多さで、演奏の密度が薄くなってしまうことはありませんか?」 と聞かれた。私は、この言葉を聞いた瞬間から、いや、それよりずっと前から この問題を反芻し、噛み砕いては分析し、なんとか今後の参考になるような 答えを探し出そうとしている。数年前に比べてのんびりと過ごす時間が 激減した現在、このことがずっと脳裏に巣食う最大の考え事だと言っても過言ではない。 しかし、これといった解決策は未だ見つかっていないと いうところが正直な感想だ。

コンサートを減らせば、本当に演奏の密度は濃くなるだろうか? 水が少なくなれば香りが強くなるコーヒーの濃度のように、 演奏とはそんなに単純なものだろうか、と私は疑問に思う。 とある、別の先輩が私に言う。 「若いうちは多少無茶をやってもいいんだよ。 まだあなたは無茶をやっても許される世代だから。そのうちに 自分のペースというものが分かってくるだろうしね。」 何よりも大切なことは、きっと探究心を絶やさないことなのであろう。 しかし後年、「無茶をやらない世代」になって、月1回のコンサートを 年に2回に減らし、研究の時間を増やしたからといって、 その日その会場で満足な演奏ができる保障はどこにもないのである。

確かに疲れ切ってしまっている状態で良い演奏をすることは 困難なことかもしれない。 しかし、私のまだそれほど長くはない演奏経験の中で 記憶に残るくらい気持ち良く弾けた日は、何故か 精神・体調ともにほぼ最低の状況にあったのである。 もう音を聞きたくもない。弾きたくもない。最後までプログラムを通すのが やっとかもしれない、と思って舞台に出て行った瞬間 人が変わったかのように軽やかに自分の世界に入り込むことができた。 私はあの感覚を再び味わってみたくて練習を続けているのではないかとさえ思う。

「ギリギリまで想い続けることに意義があるのかもしれない」と思い立って 私はその日の精神状態を忠実に再現しようとしたが、 それも無駄であった。 また、非常に優秀なドイツ人のピアニストの友人が 「その日の演奏の良し悪しはアドレナリンの分泌量に比例すると思う。」と 私に語ったことがあったが、この考えももう一つ私に実感を伴って押し迫ってこない。

私が苦戦した挙句ようやく分かってきたことは、人の心と体のメカニズムは 理屈では解析できない、ということただ一つなのである。 情けないこととは思いながら、これは真実であるからしょうがない。

入院するほど無茶をやることは勿論無意味である。 仕事は大変だが、人にとってもっと苦しいことは「仕事ができない」 ということであるだろうから。

ただ、私はショートすることを恐れたくはない。 あの、「外の世界」がすっかり遮断されて自分の世界に入って行ける タイミングは、私ごときの度量では推し量れないからだ。

いささかナイーヴな夢かもしれないが、私はホールのどこかに その日の演奏の出来をただ一人静かに見越して、私の動向を 見守っている神様が棲みついているような気がしてならない。 私は自分自身の成長と、私にとって全能なるその存在のために 模索することを続けていきたいと思っている。

ある一日

先日、国際便から国内便への乗り換えのために寄った 飛行場の洗面所で手を洗っていると、 突然背後より(正確には下のほうから) 「ねぇおじさん!」と声がした。振り返ると6、7歳くらいの少年が こちらに向かって微笑んでいる。

「お・・おじ・・。」 辺りを見回したが、他には誰も居ない。 オジサン、と彼が呼ぶ人物とは私のことらしい。 「このキカイ、壊れてるみたいだよー。手が乾かせないよ。」 手をかざしてみると、確かに自動乾燥機からは何の反応もない。 おそらくはセンサーの故障であろう。 洗面器の脇にはペーパータオルも設置されているが、 これは子供の手には届かない高さである。私はそこから一枚抜き取り、 「そうだね、壊れてるみたいだから、ほら、これで拭いておきなさい。」 と、ペーパータオルを渡した。

荷物を乗せたカートを押しつつ洗面所の外へ出、おそらくは 少年の母親であろう女性の脇を通りすぎ、次のゲートに向かいながら、 私は胸中に一抹の寂寥感がトグロを巻きつつあるのを感じていた。

これは今まで味わったことのない衝撃と言えるだろう。 邪気のない、世間一般の少年の目に写る私はもはや、 「手を洗うオジサン」なのである。

そう思うと、まるで気づかないうちにケガをしていた部分が急に 痛み出すような感覚に捉われたが、 そこで踵を返し、少年に詰め寄って肩をつかみ、 「オジサンじゃないよね?  おにいさんって、そう言いたかったんだよね?」 と問いただしたとしても、それは意味のないことだ。 子供の率直な観察眼に罪はないし、第一そんなことをしたら 母親が悲鳴を上げるであろう。

そう思いつつカートを押し続け、なんとなく 憮然とした気持ちで乗り継ぎ便ゲートの側のベンチに腰を下ろす。

「アオヤギさんは童顔だから、5、6歳は若く見えますよね。」 と最後に言われたのはいつのことだったろう? 桜が満開の季節に、教員としてはじめて大学の門に入った途端に 女子学生が駆け寄ってきて、 「演劇部に入りませんかぁ?」と誘われたのは、 あれは去年のことだった筈ではないか。

機中窓側の席より、切れ目なく続く雲を見下ろしながら、 脳内を色んな人のコメントがよぎり、交錯する。 水平飛行になってもまだ「お手拭き少年」の笑顔が脳裏に焼きついたままだ。 極度に疲労したときに限って、何の役にも立たない、無駄な疑問が 浮かんでは消えるものらしい。私は年のことについて考えていた 筈なのに、いつしかスチュアーデスが手渡してくれた オレンジジュースを呆然と見つめながら、 「今手にしているオレンジジュース、いつもと変わらない味だけど、 生きているうちに通算何杯飲んだことになるのだろう?」 などというようなことを考え、やがていつの間にか眠っていた。

生きるということは、こうした無駄なことを考え続けることだと思う。

今はひょっとしたら、まだ学校には学生さんと間違えてくれる警備員さんも いるかもしれない。しかし、やがて「どこから見ても職員」に見える 日がやってくる。

今はおそらく、私は世間的におじさんとおにいさんの中間くらいに 位置づいているのかもしれない。しかし、やがて 「縦から見ても横から見てもオジサン」になる日が必ずくる。

そうしてついには「どう見てもジイサン」になる日が、もれなくやってくる。

その時に私は何を思い、何を望んでいるのだろうか。

ある朝鏡を見たら白髪だった、という人の話は聞いたことがない。 神様は人に「覚悟を決めるだけの時間」を与えてくださっている。 私はまず小さな衝撃を受けてそれを消化し、次のステージに備える 心の準備ができた。 「衝撃よ、来るなら来い!」という心境である。

おじさん!と私に向かって無邪気に呼びかけた子供は、 「色んなことを少しずつ、考えなさいよ。」と私を諭す、 天からのメッセンジャーだったのかもしれない。

そんなことを考えているうちに、私は漸く夏季講習会の会場に到着した。 若い女性スタッフの「おつかれさまでしたァ!」の元気な笑顔に迎えられる。

今日はホント、疲れました。

アルファベット別のひとりごと

amusement park- 私は生来高所恐怖症のはずなのに、 ジェットコースターの類は愛してやまない。多分、 「普段の生活では絶対に体感し得ない状況」に目がないのである。 インターネットで検索したら、日帰りでスカイダイビングを 体験できるコースというものがあるらしいので、 時間を見つけて参加してみようと思っている。 バンジージャンプはさすがに試す勇気がないが、 自分の中での怖さの境界線がどこらへんにあるのかよく分からない。

bread- ドイツの住んでいた頃、パリ在住の友人に 「そちらのパンはおいしいからうらやましい」と言われ、 フランスから戻るとドイツ人の友達に 「クロワッサンやバゲットがおいしかったでしょう!」と 感想を求められた。しかし私が一番美味しいと 思うのは、日本の厚切りの食パンなのである。

clown-ユーモアの中に狂気や寂しさを隠して表現する手段は とても洒脱なやりかただと思う。映画や音楽の中にも、道化師の ミステリアスな要素をうまく取り入れている作品が沢山あって、 私は好んで鑑賞する。

dog years- 犬は人間より早く年を取る。友人宅で、 私の姿を確認するや否や飛びかかってきてはしゃいでいた 子犬と数年ぶりに会うと、「あぁ、君か。」といった趣の 一瞥をくれただけで、身動き一つせず けだるそうに伏せているところなどを見ると、 少し会わぬ間に精神的に追い越されてしまったかのような、 ある種のふしぎな感慨を覚えずにはいられない。

execution-昨年、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という 悲痛極まりない映画を観た。女主人公に死刑が宣告され、 彼女は看守と神父に付き添われて執行の場に向かおうとするのだが、 あまりの恐怖に足が震えて歩くことができない。 いつしかこの女囚人に愛着を覚えていた、 これも女性の看守が涙ながらに、彼女が少しでも 現実を忘れて無事に絞首台に辿り着けるようにと、 「歌を歌いなさい。」 と足でリズムを踏み鳴らしながらながら促す。 するともともとミュージカルの大ファンであった主人公が 徐々に音楽の世界に没頭でき、半ば夢うつつの状態で、 看守の刻むリズムに乗って絞首台の階段を登っていく、 というラストシーンである。 映画を観て多少涙が滲む、ということはあるが、 この映画を観ると思わず嗚咽が声になって出てしまう。 先日、悪友Yに「死刑の是非についてどう思う?」と いきなりとてつもなく重い質問をすると 「そんな・・・分からないよ。」と言われた。 全く、そうとしか答えられない問題だと思う。

fool on the hill-ポール・マッカートニーの歌声の最大の魅力は その稀有な透明感にあると思う。若い頃の写真などを見ると、 「育ちは良いが目下グレている青年」といった印象を受けるが、 その歌声は実にピュアな響きを持ち、聴き手に様々なイメージを 喚起させる。シンプルで飾り気がなく、透明感があるのに 聴くほうはどんどん想像力をかきたてられる、 ということはそう簡単に達することのできる境地ではない。 彼が偉大だと言われる所以である。

geography- 私は地図をどんなに長く見ていても飽きない。 機内誌の世界地図を眺めていると1時間などあっという間に過ぎる。 雑事に追われて久しぶりに最新の地図を見てみると スリランカの首都が変わっていた、という衝撃的な事態も たまに発生する。これに気づいた時のことは忘れられない。 私「地理には詳しいんだよねぇ。なんでも聞いてごらん。」
幼馴染(女性)「じゃ、スリランカの首都は?」
私「コロンボ。(即答)」
幼馴染「いや、スリジャヤワルダナラコッテでしょ。」
私「・・・・・・・は?」
幼馴染「だから、スリジャヤワルダナラコッテ。」
私「(笑って取り合わず)いやいや、コロンボだって。」
幼馴染「いや、最近・・」
私「コ・ロ・ン・ボ。何か賭ける?」
幼馴染「焼肉。(即答)」
数日後、私たちは焼肉屋にいた。

hero- 小さい頃から思い続けていれば、自分にとってのヒーローに 必ず実際に会えるときがやってくる。ただし、 「その時」に情熱がすでに消えていたならば、それは 人生の劇的な瞬間ではなく、「ただ子供時代を懐かしく 思い返す時間」に降格する。

id card- 自分が年を重ねている、と実感するとき。それは 各種身分証明書が増えに増えて財布がはちきれんばかりに 膨れ上がっているのを見る時である。

justice- 自分の正義を確信できる人は、その瞬間に 想像力が欠如している場合が多い。また、想像力に富む人は 良く言えば優しく、悪く言えば優柔不断になりがちだ。 どちらかと言えば、私は後者に魅力を感じるが、 時には想像力を切り捨てていかないと前進できないことも あるのは事実だ。

kitchen- 演奏会が近づくと荒れるその様は、恰も 嵐が通過したように無残であり、コンサートが終わり ゆとりが出てくるとやがて片付けられ、整理されていく。 私の台所ではこれが常時繰り返されている。

laundrette- 洗濯機が買えなかった留学時代、定期的に コインランドリーに出かけていた。洗いとすすぎに40分 かかるのでその間に簡単な食事を済ませる。乾燥には 別なチップが必要で、しかも1回では乾き切らないので 2枚投入し、本を読みながら待つ。他の学生や、アラブ人の おじさん、太っちょのおばさん、それぞれに黙々と 作業を続け、あるいはじーっと外を見ながら待ち続ける。 私の脳裏にはあの機械の回転音はもちろん、生暖かくて湿度の 高い室内の空気の様子や、糊の匂いまでが未だに鮮明に刻み込まれている。 目が疲れて文章が頭に入らなくなると本を横に置き、 「5年後はどうしてるのかなぁ。」とぼんやり将来のことを 考えたりした。「これで安泰だ」と、目に見える結果が現れにくい 職業を選んだ責任は自分にあるのだが、それにしても 不安定な状況の中で常に希望を持ち続けるということは実に難しい。 あの時のことを思うと何やら切なく、また懐かしい気持ちになる。

mode- 先日テレビで、20年くらい前のドラマを放映していた。 女優の髪の毛が黒々としている。そういえば こんなに髪が真っ黒な人を街で見かけることが少なくなった。 留学中、たびたび日本に帰国してはいたのだが、 ある時を境に世の中のほとんどの人の髪が茶色になってしまった かのような印象を受ける。先日、髪を切ってもらった店で、 生まれてこの方ブリーチしたことがない、と告げると心底驚かれた。 「どうしてですか?!もったいない・・・」 もったいない、とは 「せっかくこの世に生まれてきたのに一度も 髪の色を変えないなんて惜しい」ということなのか、 生まれたままの色にしておくことがそれほど珍しいことなのか、 ついぞ私には理解できなかった。サッカーのワールドカップでも 黒髪の日本人選手は数えるくらいしかいなかったのを見るにつけ、 私は「蟷螂の斧」といった趣で(いささか大げさな表現だが)、 頑なに「日本人にもっとも似合う髪の色は黒である。」と 信じ続けている。

nobody-出世欲を持たずにいれば、 人はある程度生活の安全が保障される。 上に這い上がっていこうと試みた途端に叩かれるのが常だ。

optimism- マイナス思考に考えを持っていくことは 一種の自己防衛本能で、一見効を奏するかのように見えるが、 ことがうまくいかないときには どう予防線を張っても人は傷つくのである。 一番勇気のあることとは、逆境の中でプラス思考でいられることだ。

pain- 痛みというものは、常時起こっているものは少なく、 途中に「休み」を入れながら、ある一定の周期をもって身を襲う。 しばらく痛んでやがて少しやわらいで、 また時間を置いてから痛み出す、というような按配だ。 心理的な傷もこの例に漏れず、やはり痛みと痛みの間には 「小休止期間」というものがあるようだ。 この時間がなければ、人は生きてはいけないと思う。

question- 「宇宙の終わりってどうなってるの?終わりってことは その先に空間があるってことだよね?そこはどうなってるの?」 「結婚は人生のハカバってどういう意味? 墓場なのになんで皆結婚するの?」

私はかつて、面倒くさい質問をしては親を困らせる 「ウルサい子供」であった。

religion- 何かを専門分野で極める上での最大の悩みは、 「私は本当に好きでやっているのだろうか。」ということに 尽きると思う。私はたまたまピアノに関わっているが、 もし宗教を持ったらやはり行き着くところは 「自分には信じる力が足りない。」という苦しみであろうと想像する。 大きな課題を二つ背負うほど私は強くはない。 宗教家に言わせれば異論も沢山あろうが、 この理由により私は宗教を持たない。

service-ドイツのスーパーで買い物をしていると、 食品をワゴンいっぱいに乗せた店の人が、 通路で商品を物色している客に向かって “vorsicht!”と言う。訳するならば 「どかないと、ぶつかるよ!」というところだろうか。 ヨーロッパではお客様は神様ではなく、売る側と台頭の立場である、 という考え方は、勘定でお釣りを受け取る客が「ありがとう!」 と言い、レジのおばさんが「どうぞ。」と、それに答えることからも よく分かる。ぞんざいな接客態度にも漸く慣れ始め、 日本に3年ぶりに帰国して銀行に行ったとき、 私には受付嬢が天女か竜宮の乙姫のように 優しくたおやかに感じられた。しかし、その態度も ドイツに長くいる友人から言わせると 「マニュアルを棒読みしているようで、かえって冷たい」のだそうだ。 好みの問題であろう。私はやはり日本にいると色んな意味で ホッとする。

tennis- より長く続くラリー、サーブの威力だけでは決まらない 執拗な心理的な駆け引き、などを観るのが楽しくて、私は長年 男子よりも女子テニスのほうが数倍好きだった。 破壊力ではなくうまさで勝負する、という点で 伊達公子選手の試合を観る楽しさは格別で、私は練習そっちのけで よく観戦していた。だがそれからまた時代は変わり、 女子テニスもパワーがより問われるのだと言う。 素人目にはこのことがなんだかつまらなく感じられる。

unfinished- シューベルトの音楽を思うとき、決まって 私の脳裏に浮かぶヴィジョンがある。 それは「あるやつれた宿のない旅人」が 灯りのついた民家の窓を一つずつ覗いていく、 というなんともいたたまれない構図である。 「痛いほどに孤独な音楽」であることは 私にもよく分かるし、聴いていてその世界に 心地よく没頭することもできる。 ただ、まだ私には手が出ない。 表現の手段にある程度自信が持てるまでは、 私はこのイメージをが壊れぬように取っておきたいのである。

virtuosity- 名人芸は、 「どうやったらあんな風に弾けるだろう?」と 聴き手を煙に巻くことが大事なのであって、 決してその仕組みをバラしてはならない、という 点において「手品」に似ている。

winner-スキャンダルのさなか、連行されていく政治家の姿はなぜか 小さく見える。私は政治に関して全くの素人だが、世の中にはきっと 「奸智の限りを尽くす、さらに老練な大物」がいて、彼らは 決してに尻尾をつかまれることはなく、ブラウン管にも その姿を見せない気がしてならない。

x-ray- レントゲンの撮影をされている、 あの無防備なポーズを取っているときは 私にとって、多分混浴の温泉でうろうろすることよりも恥ずかしく、 いたたまれない。両腕を機械の脇に頼りなく垂らした 無抵抗な状態で、文字通り 「腹の中まで探られてるような」気がするのだ。

youth- 高校時代には「まだ大学生でもないのに」と戒められ、
大学生になったら「まぁ社会人になったら・・」と諭される。
卒業後は「まぁ一人前に稼ぐようになったら・・」、
就職後は「嫁さんもらったら分かると思うけどね。」
というように、
若さとは相対的なものであり、誰から見ても長老、 というような世代になるまで 人は半人前扱いを受けるものである。 だが、これを逆手に取れば、自分の気持ち次第で 若さは永遠に持続できるということになる。
zoo- お目当ての動物というものは、たいてい昼寝をしてるか、 木の陰に隠れているかで、なかなか姿を見せてはくれない。 私だってあのように自由を剥奪され、人の目に晒されるのを 生業にすることを強いられたならば、きっと姿をくらまして 一日中フテ寝を決め込むことだろうと思う。

私が感動するとき

あるコンサート後のサイン会にて、ふと顔を上げると初老の紳士が立っていた。 私のコンサートには、ピアノをやっている子供や女性の方が来て下さることが 比較的に多いので、私は珍しく思った。 サインを受け取ったあとに踵を返そうとしたこの紳士は、 ふと思い直したようにその場にとどまって私に言った。 「今日は本当に、ありがとう・・・」 私はこの予想外のコメントに少し驚いた。 挨拶で、というのではなく、このようにしみじみと見ず知らずの方から「ありがとう」 という言葉をもらったのは初めてだったからである。

「昨年他界した妻がピアノがとても好きだったんです。 とくにリストの作品が気に入っていて・・。」 彼の後ろにはすでに次の人が待ち構えていたが、 思わず私は用意されていた椅子から立ち上がって、机越しに彼の話に耳を傾けた。

彼は、奥さんが亡くなってから1年経った今も、彼女が大好きだった ピアノのコンサートに一人でよく足を運ぶのだと言う。 彼は語っているうちに感極まったのか、みるみるその目には 涙が滲んできた。私はたじろいだまま、ついにろくな言葉もかけることが出来なかった。

「今日は最後まで妻と一緒に聴いているかのような、 とても幸せな気持ちで聴くことができました。 本当にありがとう。」と言うと、 彼は次の人に場所を譲ってから、振り返って会釈をして帰って行った。

帰りの車の中でこの話をしていると、 「それは・・・とても、幸せなご夫妻ですね。」と私のマネージャーが感想を述べた。 そして自宅に戻ってからも、私はしばらくこの老紳士について考えていた。 私は両親や伴侶を失うような境遇に遭ったことはまだない。

「個人差はあるにせよ、人間の青春とは概ね40歳まである。 人はそこから長い時間をかけて、どのような老後を過ごすか、 どのような心境で死を迎えるかに対してのイメージを固め始める。」 と私がドイツで仲良くしていた年上の友人が言ったことがあったが、 私はまだ死に対するイメージや覚悟は出来上がっていない。 今の私は、多少の無理な計画を大した疲れも感じずに遂行できる若さは備えているが、 かと言って「若気の至り」という言葉はもはや許されない、 言わば宙ぶらりんな世代に属していて、「その後に待っているもの」について 考えを及ぼすゆとりがないのだ。

一日が終わった疲労感を覚えつつも、考えを進めるにつれて 「今日は、本当にありがとう。」というこの老紳士の言葉は しみじみとした優しさをもって私の心に浸透してきた。 技術的な完成度の高さをほめられることは、実は演奏する側にとって それほどうれしいことではない。プロであれば、十分な練習量によって ある程度曲を手中に治めていることは必要条件であるからだ。 だから、私は聴き手に「感銘を受けました。」と言われることこそが 最高の賛辞であると信じてきた。

しかし、この紳士の言葉には単に「感銘を受けました。」という言葉よりも、 私の世代では計り知れない、ずっと重いものを含んでいるのだと感じた。

聴き手がコンサートに何を求めてやってくるか、ということは未知数で そう簡単に推し量ることはできない。

演奏とは、弾き手のアイディアと聴く人の反応によって成り立つものであるが、 ひょっとしたら聴き手から学び取ることのほうが多いのかもしれない。

ピアノのない国へ行きたいとき

先日行われた大きなコンサートの何日か前、私は筑前煮を作っていた。 こう書くとなにやら料理の達人のようだが、 野菜の下ごしらえから作り始める時間も気力も ないので、個人宅配のスーパーから取り寄せた、 「あとは味付けして煮込むだけ」の水煮パックである。

いつからか、簡単なものばかりに頼っているとそれが本番前後の 体調に著しく関わってくるということを 思い知ってから、私は多少面倒くさくても食事のバランスに留意するように 心がけている。

朝起きる。煮込んだ野菜と、これまた宅配スーパーから取り寄せた「麦ご飯」を 食べる。練習する。休憩する。また練習を再開する。 人とのコンタクトを取るのは事務所との連絡くらいで、あとはほとんどの 弾き手がそうであるように、コンサート一週間前くらいから私はほとんど家の中で 缶詰状態になり、ピアノに向かったり麦ご飯を食べたりしながら幾日も過ごす。 そんなことをしているうちにふと「監獄生活」という言葉が頭をよぎったりする。

私がまるで「一本ネジが抜けたように」偏ったところは、 この監獄生活を誰にも邪魔されることなく続行することこそが 最大の幸福だと信じ込んでいることである。それは、 私の「やりたいこと」と「実際にやっていること」の 需要と供給のバランスが取れているからで、自由は私にとって 他の何者にも変えがたいほどに尊い。 概ね私はこの単純な生活を続けることに不満はなく、 むしろ常に「いたって満足な男」なのである。

しかし、この需要と供給のバランスが崩れることがたまにある。 7年ほど前、ベルリンで私は突然ピアノを弾いていることが嫌になった。 大きな目標にしていたコンクールに落選して、力が抜け切ってしまったのだ。 2週間後に、コンクールで弾いた曲とは全く別のプログラムでリサイタルを 弾くことが決まっていたので、私は嫌気が差しながらも練習を続けなければならなかった。

朝、ピアノの蓋を開けて鍵盤を見た途端、吐き気がした。 私は目を閉じて、むかつきが治まるのを待った。一呼吸置いてから私はピアノの蓋を閉め、 半ば発作的に肩下げ鞄に下着の替えを一組入れて、空港へ向かった。

空港といっても、東京の自宅から成田空港へ向かうほどの距離はなく、バスに 乗ってしまえば15分くらいで着く。私は電光掲示板の一番上の欄に 「イスタンブール行き 搭乗案内中」と点滅してるのを横目で確認するや否や、 そのまま歩みを止めずにカウンターに行き、「まだ乗れますか?」と聞いて チケットを買い、トルコへ飛んでしまった。 (今から思えば、チケット代が異常に安かったのは多分、 よほど怪しい航空会社だったためであり、その名前を聞いたことがなかったのも 今さらながらにうなずけるのである。)

私はこうして5、6年に一度くらい、自分でもびっくりするくらい大胆なことをする。 ベルリンの空港から出発の際、搭乗ゲート前のタバコ屋で買った ドイツ語のガイドブック「魅惑のイスタンブール」を片手に、 私は寺院廻りをしたりカフェでチャイを飲んだり、 現地で知り合った日本人旅行者と話したりしながら3日ほど過ごした。 今から思えば、電光掲示板の「イスタンブール」という文字を見た瞬間、その飛行機にどうしても 乗りたくなったのは、本能的に「そう簡単にはピアノにはお目にかかれない国に行くこと」に 魅せられたのだと思う。そして事実、楽器を目にすることなく 3日間をのんびりと過ごすことができたことはそれなりの効果を発揮したようで、 ベルリンに帰っても今度は吐き気を催すことはなく、

(というよりも時間がなかったので必死で練習し、) つつがなくリサイタルを終えることができた。

私は今の生活に対して不満はないが、日本に帰国してからしばらく経つと、 日常生活に留学時代よりも「責任」を取らなければならない要素が 各段に増えた。もう、「ピアノのない国に行きたい。」などという甘ったれた考えは許されないのである。 しかし、「責任」「義務」の全てを投げ打って、それによって生じる多大な犠牲を払っててでも とにかくどこか遠いところへ飛び出したいと思う日が又やって来るのだろうか?

「その時はインドへ行こう。」
筑前煮を炊きつつ、実は既にそう心の中で決めているのである。

血縁

先日、テレビで若い狂言役者の母親が、 息子のPRなどを兼ねて堂々と記者会見に応じている様を 私は感心して見ていた。

世の中には様々なタイプの母親がいる。 うちの子が一番だと確信しているもの、また、 我が子は人に迷惑をかけているのではないか、 奢って人の「正しい道」から外れているのではないかと 常に不安におびえているタイプである。

我が母親はといえば、コンサートには必ず現れるが、なるべく 人目につかないように隅で息をひそめて聴いている。会場で見かける知人などに 挨拶するのも気が引けて、一刻も早く帰宅したいと思うのは 「息子の演奏が人様に迷惑をかける類のものではないか、 人としての修行が足りていずに堕落しているのではないか」と いう恐怖心に駆られるからである。 (以前、母親はホールで悪友Yを見かけ、不安そうに 「あの・・・あれで、いいんでしょうか・・・」と尋ねたという。) コンサート後のサイン会の席から、コートを羽織って会場をあとにする 客に混じって母親の姿が見える。帰宅する母親の後姿はいつも 意気消沈といった按配で、見ていてなんとも痛々しい。 彼女は心配しすぎて、毎回疲れきってしまうのだ。

先日などは演奏会の前日、ピアノに向かっているときに電話がかかってきて、 「あなた・・・練習してるの?」と聞かれた。 普段の生活の詳細を報告するのを怠っている私の責任も あるが、コンサートの直前に練習していないのではないかと 思われているかと思うと、私はしばし言葉を失い、考え込んでしまう。

つい最近、国立の音楽大学を定年退官されたK教授が大学にて最終リサイタルを なさったのだが、そのK先生に、90歳を超えた母君が 「○子(K教授の名前)、コンサートでしょ、練習しなさいよ。」 と仰ったという話を先生ご自身から直々に聞いて、 私は大笑いしたあとに、心底感心してしまった。

つまり母親とはそういうものなのである。なだめてもなだめても、 まるで泉の底から滾々と湧き出でる水のように心配が尽きないもので、 それがなければ母親ではない。始めのころは安心させようとして、 新聞や音楽雑誌に良い批評が出たり、賞をいただいたりしたら いの一番に電話をして、報告するように努めたが、 母親というものはその時はうれしくても、 また翌日から同じ密度で心配しはじめるのだ。 「あの親切な記事は社交辞令でしょう・・・・賞はたまたまで・・・ 次のコンサートでは気を抜いて、堕落・・・」と言う風に、果てしなく続く。

昨年の暮れに、私は練習を中断して 一度電話でなだめるようにし、先日は長いメールを送った。 多分、それぞれの「なだめの効力」は約一日ぐらいと分かっていながらも・・。

私がそんな話を、私の30年近く年上の先輩にしていると、 「あなたの存在自体が親孝行なんだよ。心配の種が生きるエネルギー になっているのだから。“私が戒めないと、息子は落ちぶれる!”と 信じさせておあげなさい。そのエネルギーが途切れてしまうときから 親は弱るものだよ。」と言われた。 その方はつい昨年母君を亡くされるまで、献身的な看護を続けてこられた。

私は長年、親孝行とは かわいいさかりの3歳までにし尽くして、 あとは一方的に苦労をかけてしまうものだと 私は両親の負担を思い、 常に罪の意識に苛まれてきた。 しかし、なかなかどうして血縁というものは そんなに簡単な繋がりなどではなく、 ギブアンドテイクのバランスが成り立つように うまくできているように思う。 親の活力となる「生きた心配の種」として私は生涯 なだめの手を休めることはないのであるから。

(月刊「ショパン」5月号掲載)

女性の音楽仲間の肖像

あくまで私見ではあるが、そもそも女性というものは非常に強い。 音楽家である女性はさらに強い、と言えばそれは偏見に当たるかもしれないが、 私の音楽仲間にはその個性の強さでもって私をして圧倒せしめる 女性がいることは紛れもない事実である。 これは逞しく、しかしながら繊細で人間味に溢れ、いつも私にエネルギーを与え続けてくれている 愛すべき彼女たちの肖像を、私の独断による「イメージネーム」 (あくまでニックネームではない。)を使い、ご本人諒承の上で描いたものである。 (なお、プライバシー保護のため、メールその他による 「○○って誰々さんのことですか?」 というご質問には一切返答致しかねますので、ご了承のほどを。)

その1 アマゾネスちゃん

アマゾネスちゃんの腕力・体力・持久力は、その いずれを取っても、私のそれを遥かに上回っている。 もともと同門だったこともあり、小さい頃に顔見知りではあったのだが 初めて話したのはとあるコンクールであった。 現地に遅れて到着し、スーツケースを転がしながらホテルを探して路上でキョロキョロしている 私を見つけるやいなや、彼女は近づいてきて親しげに、しかし威圧感のある、 よく響く声で私に話し掛けた。

「アオヤギさんですよね! わたし、アマゾネスです! イヤ、お噂はかねがね。  さ、ホテルはあちらですんで、お荷物お持ちしますッ!」 「エッ、いや、荷物くらい自分で持てるからいいよー。」と面食らって答える 私から荷物をもぎ取るようにして、彼女はスーツケースを転がしながら ホテルに向かってずんずんと大股で歩いていく。 私はその後ろ姿を小走りで追いかけるようにして 「いいってば!ホントに!自分で持つから。」と 彼女の背中に向かって慌てて話し掛けたが、彼女は前方を見つめたまま、 「まかせて下さいよ!こう見えてもわたし、 右手も左手も握力50kgはありますからッ!」と言い、 結局私は彼女に荷物をホテルまで運んでもらってしまった。

彼女は兎にも角にも親切で、面倒見が良いのだ。それはありがたいのだが あまりにもパワフルな彼女の勢いに圧倒され、そのペースで手伝ってもらったりしていると 私は知らぬ間に肩で息をするほど疲れきっていることがある。 「青柳さんって会うといつも疲れてますよねぇ!」と彼女は言うのだが、 それは事実無根で、これは私と彼女の体力の差と言うよりほかない。

また、彼女は非常に面倒見が良いだけではなく、教え上手でもある。 メカにとても強い彼女から、当時パソコンの知識がほぼゼロ だった私に基礎的な操作を教えてくれたのは彼女だったのである。 律儀な彼女は普段、年上の私に対し色々なことを気遣ってくれるのだが、 パソコンのレッスンになると俄かに立場が逆転する。 「だからァ!ここをこうやってこうするっ。はい、やってみて。  そうそう、もうこれで覚えたでしょ。分かった?」と叱る彼女と、 「はい。」と首を垂れて画面を見つめる私のやりとりは端から見るとまるで 「女家庭教師とアカンタレの浪人生」のようであろう。

先日、私とアマゾネスちゃんが二人とも幼少のころにとてもお世話になった 方が亡くなられた。 故人は心からピアノを愛した人で、私たちに共通している 幼いころの思い出に、忘れがたい光を放ってくださった方であった。 私は朝一番の飛行機に乗って葬儀に駆けつけ、 アマゾネスちゃんとの連名による弔辞を読み上げ、献上することになった。

彼女は亡くなった恩師に語りかけるように、一言ずつ丁寧に 弔辞を読み上げていたのだが、そのうち涙声になって、 どうしても文章を読み進めることができなくなってしまった。

私が普段、冗談などを言うと 「あははははは!なんだよそりゃ。」と言って豪快に笑い飛ばす彼女も、 この時ばかりは大勢の弔問客の前で子供のようによく泣いた。 その姿を見ながら、私の脳裏には子供時代の思い出が鮮やかによみがえり、 寂寥感を覚えつつも、大雨の後に空が次第に晴れ上がるように 心が穏やかに澄み切っていくのを感じていた。

その2 ライオネスちゃん

昨年大手のコンクールに入賞を果たし、 東京公式デビューリサイタルに於いてその才能が 若手の中でも傑出していることを証明して見せたライオネスちゃん。 私がそもそもこの一文を書く決心をしたのは、実は 大阪弁がとてもチャーミングな彼女から送られてきたメールを読んだためである。 そのメールには私が以前から悪友Yについて書いていたのを読んで 「Y君のコトばっか書いて、ワタシのことなんで書いてくれへんの!」 というような苦情?が書いてあったのだ。

初めて会った時は、とても物静かだったので 「おとなしくて賢そうなお嬢さんだなぁ」と 思っていたのだが、“大阪弁を少しずつ隠さなくなってきた” あたりから、彼女の「イキイキとした」キャラクターの 全貌が明らかになってきた。 久しぶりに会うと、彼女は大きな声を出して喜んでくれるのがウレしい。 「オォーッ。アオヤギのオッサンやんかぁ!なにしてんのぉ!」と言って 私の上腕のあたりをバシーンと叩く。そんな時、私は叩かれた上腕を押さえながら のけぞるのだが、そのやりとりを見ていた私の母親などは、 「やはりこう、傑出した才能をお持ちの方は・・ゆ、ユニークなのねぇ・・」 と後に感想を述べていた。

またある時、ライオネスちゃんはこんなことも言った。 「なぁなぁ。ワタシなぁ、ドイツ語の響き、大阪弁に似てるから好きやねん。  ドレスデン。どこですねん。ジーハーベン。どこでんねん。似てるやろ!」 これには周りにいた人も爆笑し、私は彼女のユーモアのセンスに心底感心した。

しかし、やがてある時を境にライオネスちゃんは激変したのである。 数年ぶりに彼女とモスクワで再会したとき、 私は思わず「あっ・・・!」と言って、我が目を疑った。 「どこですねん」と言って私たちを笑わせた彼女は 以前のように悪ふざけしなくなり、髪型も粋なショートになり、 タイトのミニスカートからすらりとした脚を覗かせた、 艶やかな「淑女」に変身していたのである。 私はただ呆然とこの大変身に驚き、感心した。 そして、「もう、前みたいに悪ふざけできなくなっちゃったなぁ」と思った。 「オッサン何してんのぉ!」と言って私の上腕をぶっ叩いたライオネスちゃんに 会えなくなったことに少し寂しさを感じたことも事実なのである。

その3 たぬき婦人

先輩であり、今をときめく女流ピアニストのたぬき婦人について、 私が最も尊敬しているところは 「決して苦難の表情を人に見せない」ところである。 彼女と知り合ってから13年ぐらいになるが、 どのような苦境に立とうとも私は彼女が不平不満を言ったり、 人に悪態をついたりしているところを一度も 見たことがない。学生時代から彼女には貴婦人のような優雅さと 貫禄が備わっていた。ひょっとしたら彼女は私の知る限り、 最も聡明で、強い女性なのかもしれない。 話しぶりはゆったりとしているが、流暢でスキがなく、有無を言わせぬ説得力がある。 人を笑わせたりするユーモアも兼ね備えているのだが、その言葉は熟考されていて 軽はずみな発言やケアレスミスはほとんど見当たらない。 そしておもしろいことに、この貴婦人はかなりの大メシ喰らいなのである。

喰らうとは言っても、ガツガツと食うわけではなく、ゆったりと確実に量をこなす。 レストランで食事が運ばれてくると、大抵私のほうが 先に食べ終わっているので、彼女が穏やかに談笑しながら ゆったりとした危なげのない手つきでフォークを口に運ぶのを 眺めつつ、おとなしく待っている。そうして漸く一通りのメニューをこなし、次は コーヒーかな?と思い、その旨を聞こうとするのだが、その瞬間に彼女は 「足りないわ。」と優雅に言い放ち、またメニューを取り寄せることになるのである。

20歳のとき、ブリュッセルではじめてムール貝専門のレストランに入ったときも彼女は、 「ほら、こうして1つ目の貝殻で挟むと、うまく次の身が取り出せるでしょう。 余った殻はここのお皿に入れるのよ。」 と言って食べ方を教えてくれたのだが、にこやかな会話に伴って 貝殻から身を取り出すたぬき婦人の手は止まる事を知らず、いつしか 彼女の前にはびっくり仰天するほどの高い貝殻の山がそびえ立っていた。

つい先日も私はたぬき婦人と食事をする機会があった。ふぐ懐石を食べ終えて お茶を飲みに入ったファミレスで、彼女はメニューを見ながら 「デザートにする?デザートもいいけど・・・サンドウィッチでも取らない?」 とこちらの様子を窺う様に聞いた。その優雅な口調は初めて出会った頃から 少しも変わっていない。願わくば、ずっと変わらないでいて欲しいと思う。