リストのいる部屋

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Special

Yearly Archives: 2003

ハチミツの話

夜、練習を終えた頃に、 タイミング良く電話が鳴った。 母からである。 母「ハチミツ梅干しって知ってる?」 私「え?ハチミツ・・・うめぼし?」 私の頭の中では目下躍起になって 練習しているブラームスが いまだ鳴り響いており、俄かに 母の伝えようとする イメージが思い浮かばない。 否、思い浮かべようとするのだが、 すぐに頭の切り替えがきかないのか、 私はとんちんかんなことを言って反問する。 私「それは・・・・どうするの?」 母「どうするのって、食べるの。いる?   いるんだったら   注文しておくから。どうする?」 要らない、と断るわけにもいかなそうな 雰囲気なので注文するように頼み、 電話を切ったあとで 私はしばし沈思した。

子供の頃に親に最も怒られた 思い出とはなんだろうか、と考えた時に、 私の脳裏にいつも思い浮かぶ構図がある。 私は小さく、生意気ざかりで 「ケシカラン発言」を 母親に向かってする。すると母親は 手を私の頬の前にかざし、 低くドスのきいた声で 「もう一度、言ってごらん。」 ゆっくりと言う。

私がそのケシカラン言葉を もう一度繰り返した途端、 (本当に繰り返す私も私だが)、 閃光のごとく平手打ちが飛んできて、 私は「お外に出される」のである。 当時、お外(庭)に追い出される というのは青柳家において もっとも重い懲罰で、 まだ母親の腕力に遠く及ばない 私の小さな体は忽ち中庭のほうへと引きずられ、 庭に放り出されるとサッシが冷たく ピシャン!と 私の目前で閉ざされるのであった。 そして何も知らぬ父親が仕事から帰宅し、 機嫌の良さそうな調子で 「なんだ?ん、悪いコトでもしたのか?」 と問いかけ、玄関のドアを開けるのを見るや その間をスルリと抜け入って、家の中に 再潜入するのを日常としていた。 (私はなぜか父に対して“いつも 上機嫌な調子でいた” というイメージが強く根付いている。 母は「昔は気難しかったんだから。」 と新婚時代を述懐することもあるが、 私は母のキマジメさと、父親の楽観的な性質の ちょうど中間にあたる気質を持って 生まれたようで、このことに実は 何よりも感謝しているのである。)

今から思えば、母は私に対して特別な 躾をしたのではなく、常識人としての 当たり前の感情や礼節を持った人に育って 欲しかったのであり、このように時には厳しく 戒めたようである。 私が不安定な音楽の道に進むことについても、 もっとも心配した事は生活上の問題の他にも 「普通の、良識ある人間」から逸脱した育ち方を することではなかったか、とも思う。

それから時は流れ、私もその後様々な生意気・ 親不幸時代を経ると、 母親の怒る内容もそれに伴って変化してきた。

コンサートが終わった数日後に電話がかかる。 そしてかの懐かしい低い声で 「あなた・・・この前の演奏・・ 自分で、どうだったの?」 という質問を投げかけられるのである。 このような電話がかかってくる時は 悪しき演奏だと思われた場合である。 不勉強に対しての反省を促し、次回には 万全を期して(本人は万全を期しているつもりでも) 臨むように戒めたかったのであろう。

しかし「戒め電話」の内容は、私が更に年を重ねると 新たなる変貌を遂げた。 「お母さんがこの前あげたアカシアのはちみつ、どう?  なくなるようだったらまた注文しておくから。  それから、黒酢は血液がサラサラになるから  水で割って飲みなさい。」 「梅肉エキス、この前あなたが留守の時に  置いていったでしょ。すごく酸っぱいけど、  イイんだから毎日一匙ナメなさい。」 「一食抜いたりしたら、かえって太るらしいよ。  体が栄養分を待ち構えるようになるんだって。  濃縮ゆずジュースは体にいいんだってねぇ。」 と、とめどもなく続くのである。

このように、電話で私に伝えようとする「教え」が 常識・躾→ 生活態度・意欲→ ひたすら健康上の心配 というふうに時とともに変化を遂げたことを 非常に感慨深く思う。 (もっとも、母は母で「もうここまでしか言わない、 言うべきではない」と気を遣っているだけで、 実は子供時代からの心配が鬱積している 一方なのかもしれないが。)

そのうちにいつか電話の数も減るであろう。 あるいは電話の声が次第に細くなる時が来るやもしれぬ。

世間一般の息子に比べると遥かに心配する要素が 多かった手前、私は電話が続く限り、 日々ハチミツ梅干しを食し、梅肉エキスをナメつつ 黒酢をアカシアはちみつで割って 飲み続けるように心がけようと思うのである。 (酸っぱいモノばかりでお腹にくるかもしれないが。)

ふわふわしたもの

ドビュッシーのプレリュードの各曲には表題がついているが、 それぞれのタイトルは譜面の冒頭にではなく、 曲の最後に括弧付きで表示されている。 しかもタイトルのあとには「・・・」とあり、 ドビュッシー自らがつけたつけたタイトルを わざとお茶で濁すような、曖昧な書き方に なっているのを興味深く思う。 これの意味するところは何か?  こんなことを私がふと考えたのは、 とあるラジオ番組で司会者に 「フランス音楽のエスプリとは何だと考えますか?」 という質問を受けたからである。 確かにエスプリという言葉はは直訳することは 容易であるが、用途は曖昧で、 真に意味するところは今ひとつ鮮明ではないように思う。 私は以前、ある企業の経営責任者と 食事をした時の会話を思い出した。 その会社がプロデュースするハンドバッグなどの製品は、 女性なら誰でも一度は持ってみたいと思う、 いわゆるデザイナーズブランド商品である。

「私どもの商品の価格が高価なのはなぜか分かりますか?」 その女性社長は私に問いかけ、非常に興味深いことを述べた。 「原価にそれほどコストはかかってはいません。 我々がプロデュースしているのは お客様のイメージを広げるための、 『ふわふわした部分』なのです。」 デザイン料や広告がコストの大半を占めるのは当たり前だが、

最も重要なセールスポイントは カスタマーの想像力をかきたてる「曖昧な」 部分だと言うことを聞いて、 私はなるほどと思い、思わず膝を打ったものだ。

ドビュッシーの指示する「・・・」は まさにこれに相通ずるものはないだろうか。 少し古い言い方をすれば、ファジーな指示を することによって弾き手を束縛せず、 イメージを広げさせる余地を残し、想像する自由を与える。 楽譜の指示を忠実に再現するのはもちろん 重要なファーストステップであるが、 最も感じ取ることが困難なのは、音符の羅列の裏に隠された、 作曲者の意図するところのふわふわしたもの、 つまり「真の旨み」なのである。

ミカンこわい

12月に入ったとある日、私はふと 「ミカンが食べたい。」と思った。 近所にスーパーがない我が家の食糧供給は、 専ら宅配スーパーに頼っているのが現状だ。 希望する食品名をマークシートに記入して提出し、 それが翌週にクールボックスに入れられて 玄関先まで届く。つまり、食べたいと思っても実際に 口にできるのは一週間後ということになる。

「ミカン5㎏」のところにチェックをし、 マークシートを提出した後に私は考えた。 私は今、ミカンが食べたいのだ。別にミカンが 再び来週届いてもいいから、 とりあえず今日の分をやっぱり買ってこようか。 私は自転車に乗って遠くのスーパーに、ミカンの買出しに行った。 そしてこの時点では、それが悪夢の始まりであったことを 知る由もなかったのである。

それから約一週間後、私は自宅で生徒にレッスンをしていた。 今日の最後は朗らかなMちゃんである。レッスン後、 彼女は帰りがけに私に言った。 「実家から、お歳暮にミカンが届きまーす。 おいしいので、食べてくださァい。」 ありがとう、と私は微笑んだが、奇しくもこの日には 先週頼んだ5㎏のミカンが届いていた。

翌日、Mちゃんの言ったとおり、ミカンの箱が届いた。 10㎏入りの立派な箱である。 私は先週自転車で買いに行った分をこの時点では 食べ切っていなかった。 「食べ切れるのかなぁ。一日5個食べるとして、えぇと・・」 それから連日、私ひたすらミカンを食し続けた。

食べても食べても一向に減る気配がないのは 果たして気のせいなのか。 そのうちに、このミカンは箱の底から滾滾と 湧き出てきているのではないかと疑いはじめるほどに、 ミカンを食べ続ける私の形相は険しさを増していった。

そのうちに私はコンサートのため泊りがけで 出かけなくてはならなくなった。 ミカン戦争は一時休止であるが、 このままミカン箱を玄関先に放置して良いものだろうか? 箱をよく見ると「冷暗所に保存してください。」 と書いてある。一時の沈思の後、私の出した結論は 「冬だし、玄関先はなんとなく暗いからOKでショ。」であった。

だがこの考えは甘く、旅行から戻った私はすぐに 現実に打ちのめされることになった。あとどれくらいあるのかな? とミカンの箱の底を探し当てようとした途端、 「ぼふッ。」 カビの粒子に私はたちまち咳き込んだ。 箱の中身の下半分のミカンはすでに 原型を留めてはいなかったのである。

私は「オレンジ色の、てろてろしたものの集合体」 を前に呆然と佇んだ。思えば、冷暗所に放置するだけではなく、 一つ一つを取り出してカビが飛び移らないように、 隔離しなければならなかったのだ。間もなく私は意を決し、 マスクとコンビニの100円軍手をつけ、 すべてのミカンと、てろてろの物体を仕分け、 ダメなものを除去する作業に取り掛かった。 やわらかくなってしまったものは頑固に箱にこびりついている。 乱暴にやると汁が辺り一面に溢れ出てしまうため、 この作業は非常に注意を要する。

格闘することしばし、ふと鏡をみる。 軍手にマスク、よれよれのジャージに、 こそぎ落とし用のスプーンを持った私の姿は 「目の血走った農家のオッサン」のそれであった。

その時チャイムがなった。生徒が来る時間帯ではない。 軍手のままインターフォンを取ると、宅急便だという。 私はいやな予感がして玄関に駆け寄った。 覗き窓から外を見てみると、 私の部屋へ続くまっすぐな廊下を、宅配便の制服を着た男の人が オレンジ色のダンボールを抱えてこちらに向かってくるではないか。 私は思わず(血走ったマナコのまま)ドアを開け、 まだ10数メートルも離れている彼に向い、

「それは・・・・ミカンですかッ!?」と叫んだ。 こちらの激しい形相に驚いたのか、 お兄さんの歩みは少し停滞したように思う。 「は・・あの・・・ごインカンを・・」

時はお歳暮シーズンなのである。 同じものが届くことだってままあるに違いない。 そう自分に言い聞かせた翌日に、 新たに10㎏入りのミカン箱が届いた。 私は11月中に宅配スーパーの「歳末特別配達」のために 自分で注文していたのを忘れていたのである。 この時には私の心は不思議な穏やかさに満ち満ちていた。 ある種の悟りを開いたのかもしれない。

私は小さい頃に読んだ 「イヤと言うまで肉を食べさせられ、パンの有り難味を 知った男の人の童話」を思い出していた。 心頭滅却すれば火もまた涼し。私は黙々と 一日に3個生で食し、あと2個は冷凍にしたものをナイフで 皮むきしてジャリジャリと食べる。 私の正月はミカンを食べつくすことに明け暮れ、 今に髪の毛まで黄色に変色するのでないかと案じている。